絶滅危惧種的な既知外の皆さま、
今日はちょっと真面目な話ね。
って、いつも超マジメだよ?
こないだから、「人間関係がダメな人」について考えてる。
、、、、というのは、
用事があってある人(A子さん)に連絡したところ、まさに人間関係で凹むことがあったばかりだとかで、まーそのイキサツを聞くことになったんだけど。
そりゃ、A子さんからの語りでは、相手(B子さん)にこんなことを「された」っていう「受動的事象の話」になる。
ふ〜ん、、、と聞いてたけど、B子さんがそのようなアクションを取る理由もわかった気がしたのと、
A子さんが簡単に「これも学びですよねえ」といったようなことを口にするのも気になった。
「何が」「どう」学びなのかが腹落ちしていないのに、つまり自分の「どういう行動」がB子さんをそこまで怒らせたのかは考えられていないのに、「学び」って何を学ぶんだろ???という疑問があった。
その後も「用事」の件でA子さんと数回コンタクトが続いたんだけど、その度にA子さんは「わたしって●●、わたしって●●なんですよね〜」、
つまり自分にラベリングして、そのラベルを貼り続ける言葉を、延々と続ける。
それは、自分を客観的に見ているようで、まったく見ていないってことなんだけどなあ。
大きくまるっと「結局、自己肯定できていないんですよね」みたいなセリフに結論づけたところで、実際は何も解決しなくて、
例えば、その相手との過去シーンを振り返って、自分のどういう態度(とか、言葉、とか言い方、とかとかとか)が、相手をムカつかせてしまったんだろうか?
みたいな、ズームして細かいところを見に行ってみるとか、
その時相手はどういう心情だったんだろ?とか、そんな背景を考えてみるだとか、
「相手の立場で自分を見る」という試みだとか、
言うなれば「推理能力」の問題であって、
それって「だから自分はダメなんです」とか「あくまでも自分は正当なんです」とかは一旦外して「淡々と観る」ってことができないと、結局は何も解決しないし、
したがって学びになんかなりゃしない。
それどころか、そこが無自覚だと、相手を変えたところでいつも同じポイントで問題発生!ってなるだろうからね。
従って、深掘りするなら「なぜ自己肯定できないんだ → 育った環境のせい」みたいな大雑把すぎる分析で止まるんじゃなくて
あくまで「過去のシーン別」に考えて、「自分が妙な反応をするシーンの傾向」「なんで、そういう反応をしてしまうんだろ??」みたいなことぐらいは把握しておくといいよね。
・・・・というようなことを少し言ったんだけど、
でも、その時でさえも、こちらが一言発するたびに、間髪入れずおっかぶせる感じで、ほとんど脊髄反射みたいな言葉を返してくるから、
正直、セッションでもないのにその話に付き合うのはキツかったので打ち切った。
だいたい、「用事」の件で連絡しているのに、実際、こういうの聞かされるのはけっこう退屈なんだよね。
聞かされて喜ぶ人もいるのかも知れないけど、わたしは「解決したい」という意思のある人と、きちんと時間をとって向き合うこと以外は、正直嫌だ。
そして、おそらくモメたB子さんの怒りも、そこだったんじゃないのかな、と思ったし、
「この人は確かに、人とうまくいかないだろうな〜」
と、静かに、思った。
思ったけれども、
誤解しないでほしい。
だからと言ってA子さんが「悪い」とか、そういう人はダメだ、とか、彼女のことを嫌だ、と言っているわけじゃない。
A子さんは単なるサンプルとしての話であって、
そういう人はたくさんいると思われるから考えているわけだ。
つまり、
「うまい人付き合いができない人」っていうのが、世の中一定数いる。
で、思った。
「なんでそんなに不得手なのに、人に好かれなくちゃいけないと思うんだろう?」
って。
つまりそれって、こないだFBに書いたけど、
わたしみたいに数字で発狂する人が、銀行に勤めるようなものなんじゃないかってこと。
それ、わたしにとっても地獄の修行だし(っていうか、世の中に存在する仕事が「銀行勤め」だけだったら、わたしはたぶん自殺するだろう)
最大の問題は、わたしが「頑張って」銀行業務をすることが、お客様の不利益になることが目に見えてるってこと。
人間関係の根本が理解できない人が、どんなに頑張ったところで、わたしにとっての「数字」と同じ位置づけなら、
「人と関わることを最低限にする」って決めちゃった方が、自身にとっても、世の中にとっても、よっぽどハッピーだ。
♪愛が信じられないなら 愛さなければいい
人が信じられないなら 一人になればいい♪
そして「人間関係」に対する考え方を、もっと柔軟にすればいい。
自分から好かれようとする必要はどこにもない。
そこに不自然さがあるから、うまくいかないわけであって、「自然」であれば、勝手にうまく流れるようにできているんだから。
はい。
そんで、でも、既知内のみんなは思ってる。
「でもーーーー、人と仲良くしないとー、生きていけないじゃないですかぁ?」
そう?本当にそうか?
それって「村八分」とかが死活問題な山奥の「ポツンと一軒家」ならともかく、
今なら、大抵のものは一言も口きかないで手に入りますよねえ。
要するに、現時点で、生きていくって「経済」の話でしょ。
なら考えるべきは「経済」で、「人と仲良く」のことじゃないよね。
だけど「手に職」って言っても、誰かの指示によって右往左往させられるような職なんか、もはやそっちの方が危ないわけだし。
生きるって、「食べていく」ってことだから、それこそ耕作放棄地みたいなとこに行って、芋でもコメでも作った方がよっぽど「生きていける」わけだしねえ。
だったら、とにかく「めちゃくちゃ好きなこと」をマニアックに追求していけばいい。
むしろマニアックであればあるほどいいと思うし、奥へ奥へと進んだら、やがて誰もライバルいなくなるわけだから。
話の合わない人に合わせようとして無駄な時間を過ごすより、うまくいかないと疲弊するより、
とにかくなんでもいいから、「何かにめちゃくちゃ詳しくなる」ことだと思う。
そしてその情報を、とにかく発信し続ければいい。
ユーチューバーなんてみんなそんなもんでしょ。ぶっちゃけ、どーーーーーーーーーーーーーーーでもいいコンテンツだって稼いでるよね。
既知内的に「まとも」であるものほどつまらなく、マニアックであればあるほどコアなファンがつくよ。
そしたら、あなたが人に合わせようとしなくても、あなたの話が聞きたいっていう人が集まるわけで、
そしたら無理せずとも人の輪ができるわけで。
つまり生きていけますって。
よく考えてもみてよ。
「人に合わせて、浮きたくないから」お口にお札貼って、お注射して、、、、、、って、
それでなんかいいことあったの?特典あった?
それどころか、、、、、って話じゃないの?
いま一番大事なのは、「とにかく生きること」だよ。
はっきり言って、今ってほとんど「戦時中」だよ?
そんな、「人」」の問題なんかで振動数落としたりしてる場合なのか?って思うよ。
「自己肯定」系の話って、いまだにニーズがあるのかもしれないけど、
わたしはその辺の話は「修道院」時代にさんざんしてきたし、今さら啓蒙なんて飽きてる。
今日この時点で、そこがクリアできていない人は、時間切れだよ。
人間、自己肯定なんかできてなくても生きていくことぐらいできます。
だからもう、そこはいいから、「とにかくマニアックなことをとことんやったほうが早い」ということを強く言いたい。
あなたがダメな人だってことはわかった。
「ダメなあなたでもいいんですよ〜」系の話ももう飽きた。
そんなことはもうどうでもいい。
だって、時間の無駄だもん。
それより、なんかバカみたいなもんのオタクになったほうがよっぽどいいよ。
SNSって、誰と過ごした、どこに行ったって話だけが使い方じゃないからね。
というのが、ぐるっと考えた末の結論だよ。
立派な既知外になりましょう。
では!