引き続きミゾクイ問題なんだけど。
「みシまるさん」の話は面白いんだけど、やっぱどうにも読み進まない。
すげー関心を持っているにも関わらず、読了できた人がわたしの周りには劇的に少ない。
なんでだろ???
ってずっと考えていて、今しがたひとつの結論に達した。
それで、人にものを伝えるって本当に難しいんだなあ、、、としみじみ思った。
この話は、
ご本人は確信を得ているからその論で突き進む。
ましてや自身の一族の真相がかかっているから真剣だし執念に近い熱情、つまり感情が入る。気持ちはよくわかる。
でも、俺ら「読み手」はそうじゃない。
ある意味大河ドラマに似た遠大な「「神話」とされつつも事実の世界」という二重構造のストーリーで
要するに、
誰を主役として話を始めるか
が、読み手に伝わるか伝わらないかの問題なんじゃないか、
ディテール説明が先に来るからわからないんだと思った。
かといってディテール抜きだとよくある薄っぺらい話になってしまう。
ああ、この難しさよ。
ちなみに、気づいたことの具体は、
ヤタガラスの娘
というタイトルで「ん?」と思って手に取る人は、ヤタガラスの件
そして、大抵これモンのことをちょっとでも知ってる人なら、
ヤタガラス=賀茂氏だってことは知ってる。(蛇足だけど、さらに裏天皇システムのことだって聞き及んでる人が多いと思う)
でも、ヤタガラス=賀茂と三島ミゾクイがどう繋がるのかについての記載は少ない。
ま、この辺は敢えて触れないことにしたのかもだけど、そこが弱いと話がうまく流れないのじゃないか、
なぜなら摂津三島にある「三島鴨神社」が大三島のオリジンなわけだから。
・・・・とかなんとか、ちょっと思いました。
良い編集者が付けば、その辺りのことはサジェストがあったかもしれないが、しかし今や、たとえ新潮社でも河出でも、これモンの話をうまく仕立てられる編集者なんかいないんじゃないかっていう疑念もある。
しかしこれは批判したいわけではなく、あくまでも俯瞰して見て自分が気づいた点。
いや、本当に、自分の脳内に膨大な知識がある場合、
何を、どのように書いていけば、ただの吐き出しではなく真意が「伝わる」のかなーというのは、最近よく考えていることで、
相手(読み手)の立場に立ってものを見る
っていうのは訓練が必要だとも思うから、その意味でとても参考になったし、しっかりした本を書くというのはいかに難しいことなのか身につまされる。
そしてこれだけのことを綿密に調べられるのは、やっぱり「自分自身にまつわること」だからなんだろうな、、、と深く感じ入る。
ところで「大三島」にフォーカスしていくとやっぱし村上水軍に行く。
この村上水軍は元寇の時もめちゃ活躍して、玄界灘に「溝杭」を築いて元の巨大船を入江に入らせなかった。
そーゆー話はどーゆーワケかめちゃくちゃシビれるw
まるで現場で見ていたかのような臨場感を持ってビジュアルが浮かんでくる。
今度行く福岡にはそん時の防塁跡も残っているからワクワクする。
さらにところで、
大山ヅミ=ミゾクイだとして、
「大山クイ」というのもいる(京都松尾大社)というのを今日知って、「大山咋」クイっていうからにはミゾクイのクイだ。
やっぱりクイだけに、「灌漑」「水路」で、三島ミゾクイと被る。
だけどこっちは要するに秦氏だ。
わけがわからなくなって振り出しに戻る。
もはやすごろくか!