既知外の皆様
ある意味、前回からの続きよ!
続ける気はなかったの。
でも記事書いたあと、気になって、うっかり「天理教」とググってしまったのよ。
天理教のことは「中山みき」という人が神がかりして教祖になった、その人はある意味モノホンじゃないか、、、、ということだけ知ってた。
でさ、仰天したのよ。
この教団本部の住所!
えっ!「三島」?
なんだよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
もうやだ!
物部についてわかったほうが三島問題を掘るより早い!と思ったからそっちに行ったのに、
どこまでもついてくる三島!
気になったから、wikiをゲキ読みして、いきなり詳しくなってやったわけなんだけど、困ったことに、「何か」が入ってくるのよ。バクバクするの。
要するに、俺2号のセンサーが激しく反応しているのよ。
(どーでもいいけど、このようなセンサー反応お持ちの方いる?なんなの、これは一体)
でね!この教祖中山さんが「神がかり」した場所が「三島神社」だってゆーわけだよ。
でね、それは昔は別な名前で、別な場所にあったらしいんだよ。
でさ、地図で確認したら、こーゆー話。「檪森」はイチモリじゃないかしら。
この辺結構前から「三島村」だったってことだ。一体なんなの、この三島村は!!!!!
そして祀られてるものが
布留御魂 →物部よね
大山祇 →三島よね
アメノコヤネ → 誰だっけ?中臣ってことになってんだっけ?てことは藤原?
で、例の五十鈴姫もいる。ま、三島ならいるでしょうね。
でさあ、これが気になった。
石段脇のヘキサゴン(六角形)。
これは出雲で使われる象徴、亀甲紋だと思うし、それはなぜかっていうと蛇の鱗だからよ。もちろん、呪術的なパワーもある。
この写真、見てるだけで足先の毛細血管に血が通う感じするでしょ、ゾワゾワと。
で!
ね!!!!
さらに地図上、ちょい北のほうを見るとね、
「とみの森広場」ってあるじゃない。
トミね、トミさんね、って思ったの。
でさー、ここの名前が「和爾町」。
あ〜、ワニね!
例の、コトシロヌシさん(つまりトミさん)がワニに化けてミゾクイの娘をモノにしたってゆー、その件ね!
って思ったの。
だけど、この読み方わけわかんない神社もあるじゃん。
見てみたの。
ここ。
和邇坐赤阪比古神社 わににますあかさかひこじんじゃ
と読むらしいよ。
なんかちょっと異様な感じ。。。
で、つまりこの辺りには
やっぱし神武以前からの「豪族」(ってなによ?)で、
和珥氏ってのがいたらしい。そういや聞いたことあるようなないような、、、、
で、この「とみの森」も含む一帯ってのは、そのワニさんの古墳跡らしいんだけど、まー要するに今や跡形もなく公園に変身されてしまってますね、、、という話。
(しかし、じゃあ、なんで「とみの森」って、、、由来はなんなのよ?)
でね!
至近距離に東大寺山古墳ていうのがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
ここから、明らかにヒミコ時代のヤマタイ国に贈られた剣とかなんやかや、お宝が大量出土したらしいよ。
でも、ここは宮内庁管轄じゃないんだって!
へ〜〜〜〜〜〜
ミゾクイ会での話の流れとなんか繋がってくるよ。
でね、、、、この
和珥さん
また耳の字が。。。。
もう気づいたと思うけど、珥
「王さまの耳」じゃないの。
(じゃ、ある意味ロバさんw)
でさあ、耳がついてるってことはそれなりの人たちだったわけだよね。
だけど記紀にはほっとんど記載がない。
「三島ミゾクイ」よりもはるかに「消された感」が強くない?
でね、古事記は「太安万侶」じゃん?
この太さんはねえ、ワニさんからの一族らしいよ。(ちなみに柿本人麻呂とか、小野小町とかもそうらしいよ)
てことは、太安万侶は稗田阿礼とともに、「天武以前」つまり「豪族時代」のことを知ってる人であったはずだから、、、、
や、だからね!
だから因幡の白兎もそうだけど、
すぐにピンときたワニのお話ってね、
和珥さん一族
の隠喩なんじゃないの?俺2号のカンてすごいものがあるからね。
でね、さらに仰天したのはね、
富士宮の
富士浅間神社
ここの社家はね、このワニさんの末裔なんだって。和邇部氏。
いきなり!!!
話が!!!!
俺のエリアに近くなったw
や、だから、なんなの?
一体つまりなんなの、三島とは!
永久に上がりのないすごろく。
しかしこの謎を解いたら、わたしは十種神宝をもらえるんじゃないかしら?
なんかそんな気がしてきたw