既知外の皆様
連日すいませんホントに。
いろいろ紐解いていく中で、どうしても気になってることの一つが「ニギタエ」と「アラタエ」on 大嘗祭。
「アラタエ」についてはわかってる。
阿波の忌部氏→三木家、麻。
ちなみにこの大嘗祭という儀式は、南北朝のゴタゴタ時代には執り行われなかったらしい(あくまでもオフィシャル上でしょうけど)。ま、そらそうだよね。
で、アラタエは今も三木家さんがやってはる。
しかし、誰も話題にしない「ニギタエ」。
これは絹だからお蚕さん。
これは途絶えてしまってこないだの時(令和の大嘗祭)にはどっかの業者が作った件を誇らしく書かれていたもんを見た。
しかしその糸そのものは、
「にぎたえ」は愛知県豊田市の稲橋八幡神社を中心に作られる
訳で、調べるとこのようなサイトが出てきて、それなりに面白い。
そーーーいやトヨタ自動車は元はと言えばクルマじゃなくて機織り機を作ってたんだもんね。
https://furuhashikai.com/silk_top/
羽田野敬雄より『参河国養蚕由来記(三河蚕糸考)』を授けられた古橋源六郎暉皃(てるのり)は、明治の殖産興業として、稲武地域の各村に桑苗を配布して、養蚕業を奨励しました。
つまり、
明治以前はこの「羽田野敬雄」さん(秦だわね)が養蚕技術をよくご存知だったって訳で、このお方は
1798-1882 江戸後期-明治時代の国学者。
寛政10年2月14日生まれ。養家をついで三河(愛知県)羽田神明社・八幡社の神職となり,平田篤胤(あつたね)にまなぶ。嘉永(かえい)元年羽田八幡社境内に文庫を設立して和漢の典籍一万余巻を収集。明治元年皇学所御用掛。明治15年6月1日死去。85歳。三河出身。本姓は山本。通称は常陸,栄木(さかき)。号は栄樹園など。著作に「参河国古歌名蹟考」「参河国官社私考」など。
ということ。
しかしそこまでは記載を見つけたが、
なんで尾張やねん?もともと誰やねん?
というところまで触れている情報に未だ出会っていない。
アラタエはニギタエとペアなわけだから、どっちか欠けたらイカンはず。
それなのに途絶えさせてしまったこの「家」はそもそも何?
そんで、「尾張氏」というもんがいたってことはわかってる。
『日本書紀』によると天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし、天忍人命から始まるとされる[1]。美濃・飛騨などに居住の後、乎止与命のときに尾張国造となる。日本武尊(やまとたけるのみこと)の時代には、拠点を熱田の南に移した。宮簀媛は日本武尊の妃となり、草薙神剣を熱田に置き、尾張宿彌の後裔の宗族は熱田神宮大宮司を代々務めた。
『日本書紀』では天火明命の後裔とされ、皇統譜の古い時期から尾張氏と天皇が結びつき、しばしば后妃を出した氏族とされる。遠祖である奥津余曾の妹、余曾多本毘売命(世襲足媛)は第5代孝昭天皇の皇后となり、子は第6代孝安天皇となっている。第10代崇神天皇は尾張大海媛を妃としている。
尾張国造乎止与命(をとよ)の子・建稲種命は倭建命(ヲウス、日本武尊、第12代景行天皇の皇子)の東征に副将軍として随伴し軍功を上げた。妹のミヤズヒメ(宮簀媛『日本書紀』、美夜受比売『古事記』)は東征の還路に尾張の地で娶られ、そのときに預かった草薙剣を奉納し熱田社を建てたとある。建稲種命の子の尾綱根命は応神朝に大臣として活躍し、その子の尾張意乎己は仁徳朝の大臣となっている。第15代応神天皇は建稲種命の孫の仲姫命を皇后としている。
第26代継体天皇が大和国入りするまでの正妃は尾張連草香の娘、目子媛である。第一子の勾大兄皇子は第27代安閑天皇として、檜隈高田皇子は第28代宣化天皇として即位。第30代敏達天皇と皇后額田部皇女(第33代推古天皇)の子に尾張皇子がいる。壬申の乱では海部氏に養育された大海人皇子へ私邸や資金を提供するなど全面的に支援し、彼の第40代天武天皇の誕生に格段の功績を上げている。持統天皇10年(696年)5月条に、尾張宿禰大隅が位階・功田を授けられる記事が見える。『続日本紀』天平宝字元年(757年)12月条によれば、この突然の恩賞授与の記事は、壬申の乱の功績によるものであるという[要出典]。
ほんでこんなモンを見つけた!
ちなみに尾張氏は海部氏
この「尾張さん」は、例の「ワニさん」と繋がってくる。ちなみに葛城ってのは「カモさん」。
そんで「尾張さん」の中にもヒミコと目されるヒメがいるってことだ。
え〜〜〜〜〜〜〜
そんじゃ「ヤタガラスの娘」の中で言われとることと尾張氏は同じ流れってことやんけ!
あ!だから、彼の言ってる「カラス神社」が豊田市の方にあるってこと〜?
で、このヒミコと目されるヒメが「ワニさん」との間にお子をもうけとるってことで、その流れの中でエンペラー化した方々がいるよっていうことになってる。。。。
ま、いずれも欠史八代の闇の中のことだから、ま、何が何だかわからないにせよ「なんかがあった」ってことだけはわかる。
でね、こういうのは、それぞれの「豪族」に伝わる口伝みたいなモンを見りゃ、それぞれ何を言ってるかわかる訳でね、
古語拾遺
というものがあるのよ。忌部氏による伝承ね。
『古語拾遺』とは、古代の氏族である斎部(いんべ)氏の由緒を記した歴史書である。斎部広成(ひろなり)の撰述(せんじゅつ)で、807年(大同2)に成立した。祭祀(さいし)を担当した斎部氏が、同様の職掌に携わっていて勢いを強めた中臣(なかとみ)氏に対抗して、正史に漏れている同氏の伝承を書き記したものであり、正確にいうと、斎部氏によって提出された愁訴(しゅうそ)状であって、『古語拾遺』は後人による命名である。伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の二神の国生みと、神々の誕生神話から筆をおこし、757年(天平宝字1)の時代までのことが記述されており、斎部氏の氏族伝承をはじめ、記紀に並ぶ古代史の貴重な文献である。
すごい重要文献だと思うわ。
だったら、それを見てみようと思ってゾンアマ見たのよ。
そしたらさ、
中古でしかないって、絶版てことじゃん!
岩波文庫で「絶版」て、これどういうこと?
「現代語訳 古語拾遺」こういったものも全て「絶版」。
それから、物部氏と尾張氏のことが詳しく載ってる
「先代旧事本紀」も絶版よ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E4%BB%A3%E6%97%A7%E4%BA%8B%E6%9C%AC%E7%B4%80
どーでもいい本が絶版になるのは致し方ないけど、この手の本て売れようが売れまいが、出版社(況してや岩波)は常に用意すべきものでしょ。
これを日本の文化程度が恐ろしく低いっていう「だけ」で片付ける訳にはいかないと思うわ。
わたし最近気付いているのよ。
「いにしえ」のことは、もう、俺らにアクセスを許さないっていう風になってきてるわよ。
なんていうか、なんかの意図を感じる。
だから、復刻版とかなんとか、私設の出版でひっそりなされるか、デジタル化を待つばかりということになる。
だからさ〜〜〜〜消され続けているのは「三島」だけじゃないのよ。
ちなみにこういう本があるわけだが、
麁服(あらたえ)と繪服(にぎたえ) 天皇即位の秘義 践祚大嘗祭と二つの布
なんとなく、わたしが知りたいこととは違うような気がして、買わないことにした。
ま、ただ、本当にたったひとつ思うことは、
我々は、生き残った者の末裔
ということ。
皆、昔を辿れば色々とあった。でも生きてるってことは、誰かがどうにかして生き残ったから。
しみじみそれに尽きる気がする。