既知外の皆さま
時代の変わり目ってやっぱりこういう人たちが現れるんだね〜、とても感慨深い。
つい最近友達に教わってから更新をめちゃくちゃ楽しみにしている「TOLAND VLOG」
ちょっとこの手のyoutuberでは群を抜いてクオリティが高い。恐ろしくアタマがいいと感じさせる(しかもイケメン)サムさんの「点と点の繋げ方」がすげえなと思って、ただただ舌を巻くばかり。
そういう頭脳とスキルと熱量も尊敬の対象だけど、他のほとんどのこれモンの人たちが、核心に迫る、と言っても絶対に核心には触れない(だってまじ怖い、もしくは本当にわからない)のに、この人は躊躇ない。
おちゃらけたテイを装ってるけど、ここまでのことはまさに、覚悟を決めてなければできないってことぐらいみんなもわかるよね?
「封印を解く」って、命がけだよ。
https://www.youtube.com/c/TOLANDVLOG/videos
そして!
なんと今日、つまり最新版のテーマが
物部氏
だった。
なに!!!一体なんなのこのシンクロ!
そしてなんででしょうか?彼の圧倒的な喋りとは関係なく、謎解きが進んだ終盤、
不覚にも、イミフに涙ぐんでしまった。(なんでーーーーーーーーーーーーーーー?)
なんか、、、、、、
一人で勝手に感慨深い。
「隠された女神」って、そういうことか、、とか
俺が昔から巨石に惹かれることの理由とか、
どうして涙を流すマリアさまは「秋田」だったのだろう、とか、
ああ、東北しみじみ感慨深い。
、、、、、、って、
あれ?
そもそも「三島ミゾクイ」の話に強烈に食いついた顛末。
今年のはじめに青森を地図でゲキ見していたからなのよ。
それで「岩木山」は「巌鬼山」っていうことに気づき、
この辺りには鬼をお祀りしている神社も多いことに気づき、、、、鬼沢っていう村もあるし、
鬼と製鉄に関して、どういうわけだかただならぬ関心を持っていたわたしとしては、やっぱり気になる、「鬼って誰よ?」問題なわけよ。
ほらね、鉄器。
昔から、坂上田村麻呂の「征伐」の話とか、めちゃくちゃ嫌悪感を持っていて、
東北にはアラハバキ、巨石信仰があることも知っていた。
でさあ、
そんな風にして地図上見て行ったら見つけたのが、こちらよ。
赤倉山(巖鬼山)に点在する、もしくはしていた霊堂で祀られてきた赤倉の神仏様を礼拝し、赤倉霊場の歴史と信仰を後世に残す為に組織されました。赤倉霊場は一部の神社、寺院を除いて多くの霊堂は現在衰退の一途を辿り、年月を追うごとに霊堂が次々と姿を消しつつあり、その歴史も人々の記憶から遠ざかりつつあります。
赤倉とはなにか
鬼神とはなにか
信仰とはなにか
岩木山の歴史と合わせて今一度皆様と共に考える機会をこのサイトを通じて設ける場となることを切に願います。
このサイトに『ヤタガラスの娘』の本が紹介されていたの。
でね、超気になったのが、このページに書かれていることだったの。
https://akakurayama.amebaownd.com/pages/4272608/page_202009291913
しかし、いったいなんのことなのか、意味がわからなかった。
鬼神赤倉山大権現を考える時、今に伝わる伝説や物語の多くには鬼神を白髪の老人や、金棒と卍の旗を持った大人(おおひと)として描き、「男神」として鬼神を敬ってきた。
赤倉の麓にある鬼神社の伝説でも、弥十郎と大人の交流が描かれており、もちろん男神として描かれている。
しかし、古い伝説や歴史、お寺に伝わる縁起を調べていくと、この鬼神はもともと「女神」であったことがわかってくる。
赤倉山宝泉院の赤倉山大権現略縁起図誌には坂上田村麻呂や、弥十郎と交流を交わした鬼神は鬼女として登場している。また、宝泉院の縁起では、鬼女が田村麻呂に対し、「われは出雲大神の第五王女で、父神の命で護国利民のために大八州の鬼門の地のここに久しく住んでいる。しかし今の世の人は心乱れているので、わが眷属がこれを憎んで争乱を起こしたのだ」と述べる話も伝わっている。赤倉の神が出雲の王女だったという話は宝泉院だけに伝わっているもので他にはない縁起である。こちらの話は略縁起に記されている話と逆説的で、宝泉院には鬼女が田村麻呂を助ける話と、討伐される対象としての話がどちらも伝わっている。また、宝泉院の寺宝であった(焼失)赤倉大権現の御姿の掛軸は、他の神様とのお姿との類似点が多い、馬頭山金毘羅大権現のお姿や太平山三吉大権現のお姿とそっくりで瓜二つのものが多い。赤倉霊場にある赤倉様の石像の多くもその通りである。恐らくはそういった他の地方の神像の版木や御姿を参考にして赤倉大権現の御姿を形作っていったのだろう。また、鬼神社に参拝を経験された方はピンとくるかもしれないが、鬼神社は鳥居から拝殿までの参道がコの字になるように作られている。実に不思議な作りであるが、かの有名な四谷怪談のお岩さんのお墓は、墓地のお墓が立ち並ぶ中をコの字に進んだ先の一番奥に建っている。これはお岩さんの祟りが降りかからない為、あるいは封印の為に、お墓までの道をコの字にわざとしているとする説がある。鬼神社も、まつろわぬ神を封印、または祟りが降りかかるのを恐れてこの形となったのであろうか。真実は誰にもわからない。
それが今、あの動画を見た後では、
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
という話だよ。
意味、わかりすぎるぐらいわかって鳥肌モノだよ。
とにかく、このページに書かれていることは濃厚だから、動画を見た後で、すべて読むことをお勧めします。
ちなみにどうして岩木山に出雲があるのか、それもわかるよ。。。。
赤倉霊場の方にしても、みシまるさんにしても、TOLAND VLOGさんにしても、
若い方々が並並ならぬ熱意を持って、重すぎる扉をこじ開けてくれていることに、本当に感謝したい。
こういう話は、歴史学者や考古学者からは絶対に出てこなかったと思う。できないんだと思う。
これ、地味な話に見せかけて、めちゃくちゃデカい功績だよ。
鬼って誰のことだかよくわかったし、封印された女神も日本に限った話じゃないし、
歴史の「作られ方」もよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くわかった。
この話を理解すれば、みんなの意識は当然、ガッシャーーーーーンと変わる。
いやあ、、、すごい時代になったなあ。
感慨深いです。
さて、封印された女神はいつ、どのように出現するのかな。