自分自身の心理の変化について気づいたから書きたいと思う。
毎年8月は終戦記念日の周辺で、戦争関係の良質なドキュメンタリーが次々放送されるので、今年も可能な限り録画して怒涛の勢いで連日見てるわけなんだけど、終戦から77年経った今だから、あたかも偶然発見されたかのようにして公開できる極秘情報もある。
以前だったら、例えば、「そんな資料があることは当然関係者は前から知ってるのに、なぜ今まで出さなかったんだろう💢」って幾ばくかの怒りと、そのようにして隠匿していたのは、「誰かへの配慮」で、その誰かっていうのは言うまでもなく軍の統帥権を持っていたトップである「元帥」である昭和天皇を主として、あるいは軍の上層部のエライ人だったり、あるいは嘘の事実を垂れ流し続けたすべての報道機関だったりなわけだから、そこに対しての幾ばくか以上の蔑みに近い気持ちを持つだけだった。
けど、今年は、自分の受け止め方が少し変化してることに気づいた。
軍部内でもあれだけ複雑に入り組んだ人と人との関係性やそれぞれの思惑と「立場」、、、そういうものを考えると「そりゃ発表できなかった、しないほうがよかったこともあるよね、、、、」。当時そこに関わった人の「保身」のために隠匿したことではなくて、むしろ「名誉」を守るという意味合いが含まれることもある、それは戦いに仕向けられ、散っていた人たちやその遺族に対するリスペクトでもあるよなあ、、、、、、なんてしみじみ考えるようになった。
皆それぞれの現場で、最悪な状況下で、本当に本当にそれぞれが信じる最善を尽くしたのだと思う。
最近なんでも、真実とは、「出る時を待っている」のじゃないかと考えるようになってきた。出るに適した時がある、とでもいうのかな。。。
この話↓を番組にした
これは衝撃的に興味深かった。
昭和天皇には、各方面から「正確な戦況」はきちんと報告が上がっていた、という事実には本当に驚いた。
それから、日独伊三国同盟を作った裏の「黒幕」
もめっちゃくちゃ面白かった。
(けどこの話は今は書かない)
また、どんな立場であれ、死んでいった人たちはすべて「犠牲者」だとわたしは思っているんだけど、一方で、彼らはものすごくよく頑張った、立派に任務を遂行したんだよなあ、、、と思う気持ちも大きくなっている。
ずいぶん前に、金子さんが、戦争で戦い亡くなった人に、「かわいそうに」という気持ちを向けるよりは「勇敢に戦って、立派だった!」と言葉をかけたほうが、男は報われる、というような主旨のことを話していたことも思い出す。「あなたの死は無駄だったんですよ」と言われて喜ぶ兵隊はいない。
そうかも。ほんとうにそうかも、、、ってその時思った。
「かわいそう」だったと捉えるのは、戦時下から離れた我々の、ある意味突き放した視点。彼らが無駄死にだったかどうかは、実はその後の時代をつくる我々の行動で決まるわけで。良い世の中を作るのは生き残った者の末裔である我々の使命なのに、そこは放棄して「かわいそうでしたね」は確かにちょっと違うかもしれない。
実際、因縁探偵セッションでも、故人に対して想いを寄せて、その方に対する「絶対的な承認」が必要ですよとお伝えしているわけで、その人生を「全肯定する」ことでやっと報われる魂もある。
半端ない本数のドキュメンタリーを連続して集中して見る中で、自分の中に湧き上がってきた感情は「感謝」だった。
自分がこうして生きているのは、悲惨極まるあの時代を4人の祖父母が生き残ってくれたおかげ、、、、それがいかに大変なことだったか!と、ものすごいリアリティを持って感じられて、その瞬間、それがどんなにありがたいことだったか、と思ったら突然泣けた。大粒の涙がとめどなく溢れて止まらなくなった。
おじいちゃんたちおばあちゃんたち、生き残ってくれて、ありがとう。シンプルに、どんなに感謝してもしきれない。
そしてその前の世代の人たち、そのまた前の世代の人たち、そのように手繰っていって縄文時代のわたしの祖先、その先の菌みたいな存在だったわたしの祖先。生き残ってくれてありがとう。
この人たちが生き残ってきた間には、生き抜くために必死な思いをしたかもしれない。誰かを蹴落としたかもしれない。裏切ったかもしれない。食料を独り占めしたかもしれない。後ろ指さされたかもしれない。犯罪も犯したかもしれない。
とにかく生き抜くためにそんなに美しくない人生を送った人もいるかもしれない、、、、、と思ったら、なんだかもう、全てが本当にありがたいとしか思いようがなくなった。
同時に、魂の奥底からこのことに対する感謝が出現した自分は、ようやく少し大人になったのかなあ、とも感じたし、逆にこの感謝の念が出現するってことは、わたしは今、自分がこの時を生きているってことを完全に肯定しているんだなあ、、、、という風にも思った。
たいそうな「実績」も、大勢からの「承認」も、わたしはまったく必要としていない。
生まれてきて、この人生を生きて、体験している。
♪わ〜たしはいま!い〜きている〜♪
これがなんと素晴らしいことか、と思う。
そんなお盆。