大王製紙の元会長さん。ちょっと注目しているの。すげーーーーー面白いと思う。
この方、ギャンブルでとっつかまったことで有名だけど、そもそもただのバカなら会社を黒字経営したりなんてできねーから。
生まれながらにあらゆる富と地位を持ち合わせて、おまけに商才まで持ちあわせていたら、お金なんてある意味クソほどの価値もない、本当にただの数字なんだろうな。それ、いいじゃんねー、その捉え方。だけどそういう人が人生かけて求めるヒリヒリできるものって?と考えると、確かにギャンブルがその行き着く先なんだろうと想像したら納得できる。そうでなければ、F1とかのレーサー、または時代が時代なら軍人とかも、あるいは政治家みたいな職もそうかもね、、、、なんて考えたりしてる。
とにかくなんというか、ある種の清々しさを感じる。つまり私の好きなタイプの既知外ですね。
本は読んでみようかなと思ったけど、思いとどまったわwwwwwww レビュー読むと男の人たちが感銘を受けてるのが興味深い。
ツイッターも話題らしい。中でもこのツイートはわたしかなーーーりヒット。
だ〜か〜ら〜
オレの言ったこと、聞いてる?
自分以外の誰のことも信じちゃいけないのよ
必ず自分の頭で考えなさい!ただし、オレの言うことは絶対です!(オレの中では) https://t.co/ZDcSkp4fyW
— 井川 意高 (@mototaka728) August 15, 2022
わははは!!!
俺の言うことは絶対です!(俺の中では)
これ、も〜らい!って思ったわ。だってわたしも常々そう思って生きているのよ。
まーそんな井川さんとか、ガーシーさんとか、ひろゆきさんとか、ホリエモンさんとかの、ムカつきを全部晒してぎゃあぎゃあやってるの、最初は「アホらし」って思ったわ。大人ゲないとも思ったしね。
誰が誰にキレたとか、何の件でムカついたとか、バラしたる!とか、晒したる!とか何やかや。
ホリエモンに激怒もガーシー笑い…ひろゆき妻夫以上のラスボス感
でもさー、よく考えたら、
これむしろ健全なんじゃないの?
って思うようにもなってきたんだよ。
や、プロレスっぽくもあるとは思うよ。だけど、誰だってムカつくことあるでしょう?でも、それを出さないようにしているよね。そして美しくリア充的な日々の演出に余念がないわけでしょう?
でもムカついてるんだよね、腹の底ではあいつ気に食わない!と思ってんだよね。で、そーゆー感情のはけ口は、匿名で顔名前伏せて、実際に関わったことのない「誰か」に向けて罵詈雑言撒き散らすこととか、その人がいない現場でふれまわったり、自分より立場が弱い人に強く出たりしてして解消してるわけだよね。(いや実際は、そんなことで解消なんかできねーから!!!!てのは置いといて)
わかりやすい例が「アベしね」みたいなことをガンガンSNSでは言える名前と顔と「立場」のない人たちってのがすんげーーーーーたくさんいた(いる)わけだよね。
もしくはリアルで、今や「会社」みたいなところで起きるという、「陰湿な」いじめ。
引き換え、衆人に「自分は何にムカつく人間なのか」を見せて当人同士パンチ打ち合ってる方が、よっぽどさっぱりしてんじゃないのかね。
「自分が何にムカつく人間なのか」。
なんか、これがめっちゃ大事な気がしてんだよね。それを晒すって、ある意味勇気もいるよね。「器チッセーな!」とか思われること覚悟だもんね。
けど、自分が何にムカつくタイプの人間か、って、実は世の中のみんな、そんなに把握はしていないんじゃないかって思うのよね。でもそれってその人の美学とか哲学に関わることだったりするよね。それ、実はすっごい大事だよね。
そんで、実名で、相手を特定して、喧嘩の売り買いが始まった場合、実際はそこに無関係な「そこに費やせるお時間のたくさんある方々」が、「応援します」とか「信じてます」とか、罵詈雑言とかのイミフなアレを乗っけてるだけで、基本、興味ない人はそーゆーのも見ないし、何が繰り広げられようと関係ないもんね。
上のリンク記事みたく、他人のふんどしで相撲とる商売の方々に、ネタを提供してるってだけで、そんな記事すら普段見もしないもんねえ、俺だって。
ただ、
DaiGoはかつてガーシーに髪型を「ペヤング」呼ばわりされた経緯がある。
っていう箇所にはめちゃくちゃウケてヒクヒクした。一体どーゆー髪型なのか、検索したら負けだと思って我慢したわよ!
いや〜〜〜〜〜〜〜〜、しかしこんな文章を書いて売ることが仕事になってる時代なのね〜って、しみじみ、おもろいなーって思った。いやはや。
まあね、
「喧嘩はいけません」ていうけど、この世界には「怒り」という感情が確実に存在していて、多くの人はそれを体内のどっかに蓄積してる。そして怒りを持つこと自体が良くないことだと思ってる。
怒れる機会を常に探しているような、怒りの導火線(コード)に常に接続されてる人はこれまたちょっと話が別だけど、アベレージ的な人間誰しも怒りは持ってる。決して喧嘩をしないこと=大人ゲではないと思うんだよな。
「大人ゲ」っていうのはスキルであって、大きく3つに分けられるような気がしていて、
1)誰もが、その人相手に喧嘩する気になれない圧倒的なヒューマンスキル
2)普通の人なら怒るところを、怒りではない別視点で受け止められて、かつ、相手を感心させられる(説得できる?)人。この経験によって、相手は二度と同じことを繰り返さない、というような腹へ落とさせるスキル
3)始めた喧嘩をきちんと収拾つけられる、つまり「手打ち」ができる人。その後に禍根を残さないスキル
で、上記の1)や2)は現実的にほぼ無理だよね。
だったら3)をめざしましょう、というのが正解なんじゃないのかな。つまり、どうなったら満足なのか、を自分でわかっておくことも大切だよね。きちんとした「謝り方」を身につけることも。
んで、それが本来子供に言うべき教育なんじゃないかな?と思うけど、大人がそれをできないから、子供に指導できるはずがない。当然、子供は小さな器に育つ😢
で、人それぞれ
俺の言うことは絶対です!(俺の中では)
が基本なんだから、意見を持ったら摩擦が起きるのは当たり前。正直に生きたら当然そうなるんだよ。
でもね、人は摩擦によってしか成長することができないのもまた事実。だから回避ばっかり教えてもしょうがないんだよ。怒りは必ず蓄積されるんだから。
今、ほとんどの人が怒りや悲しみをどっかに溜め込んで、どんどんカラダ悪くしている状態。これはさーーー、意図して解消しないと、どうしょうもないよーーーーーー😢😢😢😢😢
昔はさー、文豪と呼ばれる人たちとか知識人だって、「往復書簡」みたいなものでやり合ってたわけじゃん。それで理解を深め合ったりしてたわけだよね。
そーゆー時代は誰にも見られない、プライベートなものだったから外野にとやかく言われることもないけれど、「君は間違ってる!」「君こそ理解が浅い!」みたいな話をさー、忖度なくやってたわけだよね。
今はそれが、衆人の前で脊髄反射的な強いワードの即時応答みたいな「勝負」になったってだけで、本質は変わらないんじゃないのかね。
「それは違うんじゃない?」と言われただけで、なんで?も考えず簡単に前言を引っ込めてしまうようでは、まあ、なんて言うか、自省なり、説明力なり、どうやって何かを深めることができるのかなー?って思ったりする。
ま、そんなわけだから大の大人が雁首そろえてガタガタやってるのも、別に悪いこともでもないのかもね、って思ったりしてる今日この頃だよ。
とにかく隠匿されてた闇がどんどん出てくるのは面白い。
ただ、彼らが正義の味方でもなんでもないことだけは確かだよ(笑)
ではまた!