昨日書いた秦河勝さんのお話。
例によって横道に逸れた話になってしまったけど、ミゾクイ会本番で言いたいのは「カルトが昔からあった件」なんかではございません🤣
そんな話より大切な視点は、「類似点を探っていくと、何かにぶち当たるよ〜」ということなんです。
本日の掲題「どこかで聞いた話」。
例えば昨日の秦河勝さん。
大避(大酒)神社はダビデを祀っているとも言われちょりますが、その前に、この方の「いわれ」について、
初瀬川氾濫により三輪大神の社前に流れ着いた童子を見た欽明天皇は、以前の夢で「吾は秦の始皇帝の再誕なり、縁有りてこの国に生まれたり」と神童が現れていたことから、「夢にみた童子は此の子ならん」として殿上に召した。後に帝は始皇帝の夢に因んで童子に「秦」の姓(かばね)を下し、また初瀬川氾濫より助かったことから「河勝」と称したとされる。
え〜とつまり
川から流れてきたのをエライ人に拾われた〜。だから川にちなんだ名前にしたよ〜
ってことがキモですよね。川に、この子が流れていたわけですよね。
あれーーー?それって、、、、
どっかで聞いた話。
どっかで聞いた話じゃありませんかー?
桃太郎さん?
いーえ違います。
もっとワールドワイドなお方。
そう!
生まれた当時、ヘブライ人が増えすぎることを懸念したファラオはヘブライ人の男児を殺すよう命令した。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、パピルスのかごに乗せてナイル川に流された。たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ヘブライ語で「引き上げる」の意味)にちなんで「モーセ」と名づけた
十戒で有名なモーセさん。
え、モーセさん?
で、ここで大切なのは、河勝先輩はモーセだった!とかそんな話じゃないんです。
ワールドワイドに誰でも知ってるような寓話がわざわざ当てはめられてるよ〜ってことに気づくことなんですよね。
こーゆーのって子供時代はもっと簡単にひらめいてましたよね。純粋だから。
例えば聖徳太子さん。馬小屋で生まれたから「厩戸皇子」。ミニミニ時代のわたしは「キリストさんと同じだね〜」って思いました。エライ人は馬小屋でみんな生まれるのかな〜とかなんとか。母親はめんどくさいと思ったのか「そんなの作り話に決まってるわよ!」と一蹴していましたけど🤣、作り話にしても、なんで同じ雛形を当てたのか?
「神世の時代」のお話、つまり神話の世界なら、世界各地におんなじようなお話がたくさん存在しているんですよね。
天地創造のお話とか大洪水のお話とか。そんなもんはどこにでもあるので、世界共通のプラットフォーム化された事実の伝承だと捉えればいいわけです。
ま、しかしながら基本、どういうわけだか人々は、そういう情報を「USO800」だと思って本気に受け止めてきませんでした。今の世に至っても「大洪水は真実だった」というような証拠が発見されてはニュースになるわけですが、どういうわけだか「ホントだったんだ〜」とは思わないわけです。たぶん、なぜなら、「その時代」と「ナウな世界」の接点があまりにも見当たらないからなんでしょうけれど。
神話の世界、だとするなら「神」というのは不可視の存在だから、神にこう言われたとか、神が激怒して町を焼き払ったとかを肯定してしまうと、「じゃ、神って人間なんか???」というめんどくさい疑問が発生してしまいますので、「自然現象」などに置き換えての分析で推論が出てくるわけです。
しかし〜、秦河勝さんという方は古墳時代以降、6世紀とか7世紀の人ですよ。(もー、紀元前の話ばっか考えているナウのわたしにとっては、AD650年なんて「割と最近の話」ですよ。1192作ろう鎌倉幕府なんて、それこそ「一昨日?」ぐらいの感覚)
人間が、人間の形をしている時代の話に決まってるだろう、、、、って思っちゃっていますが、ハテ一体どうなんでしょう。
日本書紀にしろ古事記にしろ、まんが日本昔話にせよ、
「ありえないようなエピソード」が連発されていて、「嘘に決まってんじゃん!」と言って捏造に怒るのもいいかも知れませんが、それより、「その話どっかで聞いたことある〜」を見つけていくのもまた一興、というものですよ。
何しろ、世界は一家人類はみな兄弟。
これに勝る標語はないと思うんですよねえ。
それが腹に落ちると、戦争なんかの争いごとを見るのがアホくさくなるんじゃないでしょうか。
いいじゃん!みんな生き残ってきたんだから!生き残ったもの同士祝杯をあげようよ!
てな具合で、どっかの国の優位性や正当性を競うのもバカバカしい。
そんな風に思ってます。