既知外の皆様
昨日は毎年恒例の高中正義LIVE。
昨年は名古屋、その前は仙台での参加だったから、日比谷公園のみどりも久しぶりだ。
ナーコロのせいで、ひとつおきに設定されていた座席も今年は解禁となり、「声援、歓声はお控えください」などというアホなアナウンスもなくなった今年の日比谷野音は立ち見も入れての超満員。つめかけたおっさんたちの喜びが充満していた。
数年前は衰えを隠せない(それでも別にいいんだが)と感じたタカナカはここ何年かはさらに前年より気迫こもる凄まじい演奏になっていて、「プロってすごいな」と思わせてくれる。「すげえな!」と思われる一瞬をつくるためには、とんでもない質量の日々の努力、それを維持するだけの熱量(向上心)を持っていなければできない。
心震えて涙がこぼれた。毎年、わかりきっているのに、毎年、新たにガツンと心を打たれる。
わたしが小学生のころから、活躍している、言わずと知れた、ギターヒーロー。来年70を迎える彼は今でも、ギター一本で全国ツアーを行いおっさんの心に何かを届け続けている。
客席を埋めるおっさんたちの中で、わたしたちは最年少の部類。
でも最近はyoutubeのおかげで、全盛期を知らない世代もチラホラ来ている。
もはやとうに現役ではない、揃いも揃って後頭部に毛がなくなったジジイ連中が、感極まって「タカナカーーーーーーーーー!!!!!」と叫んで涙を拭う、みたいなシーンを目に焼き付けておくが良いぞ、若者よ!
この人たちは、それぞれの「15歳当時」から今に至る50年間、60年間を胸に、いずれ二度とタカナカの姿も見られなくなることをも含みおいて、2時間超の時間を味わっている。
わたしたちの隣の席では、ライブ中ずーーーっとニコリともせず黙って聴いていたおっさんが、アンコールも終わって退場というとき「来年も俺たちは待ってるぞタカナカーーーーっ」と野太い声が裏返るほど絶叫した気持ちは、痛いほどわかる。
毎年この世を離れていくかつてのビッグネームたち、それに自分らだって、いつ何どき、どうなるかわかったもんじゃない。
そう、今という時代、我々は「生の終わり」というものを、けっこう近くに自覚している。
そんな中だから、魂の琴線に響くサウンドが、ダイレクトに沁みてくるのかもしれないなあ。
日曜日だからゴーストタウンのような様相の内幸町のオフィス街とは対照的に、秋の虫も合唱する日比谷の森はエアポケットのよう。熱いものが込み上げた時間だった。
我々もまた1年元気で、タカナカが現役な限りずっと見届けよう。