既知外の皆様
なんだか!
急に!
松教の宣教師みたくなっている今日この頃。会う人会う人、松の話しかしていない。
いったい自分に何が起きているのか、ちょっと他人事っぽく眺めて面白い。松の精に乗っ取られたとしか思えない(笑)
昨日は植木屋さんが裏山のアカマツを切って届けてくれた。
今日は今日とて、実家に行こうと出かけたら、線路際の元お屋敷の立派なんだけど放置されきっていた松に植木屋さんが入っているのを目撃。見たら青い松ぼっくりがジャンジャンついている。
これ戴いていいですか?って聞いたら「どうぞどうぞ」と言われたものの、大量の枝を持って電車乗るのか????
そこでハタとひらめき、至近距離にある某日本料理店の戸を叩き「袋ちょうだ〜い」と。「とにかく食べるのよ!!」と力説し、ひと枝置いてきたら、速攻で調理してくれたのが嬉しい。
あ、もちろん松は、害虫駆除の消毒液、その名も「スミチオン」なんかは使われてないことは確認済み。
っていうか、今どきもはや、誰もそんなことをしていないのではなかろうか、昔ほど植木屋を定期的に入れてる確率が低いし。
それにしてもプロが切った野菜ってどうしてこれだけでこんなに美味しそうなんだろう。
ちなみに数ヶ月先まで予約が取れないお店でございます。
北鎌倉に着き、駅前の某店(幼なじみ)店主が体を悪くしてリハビリ頑張り中だから、そこにも顔出して「とにかく松食え!」とひと枝を置き、
そーいや先日大仏近くの八百屋のおばちゃんが、「指を火傷してしまったのよ」「あら大変!松塗るといいよ!」「うちに松ないのよ」「じゃ、今度持ってくるよ」みたいな会話をしたことを思い出し、帰りに寄りひと枝置き。
松の枝を拾い、配りまくる1日。
家の老木を切ろうとした罪の贖いでしょうか(笑)
それにしても、つくづくありがたいことだなーと思う。
ちょっと関心を寄せたら、あっという間にじゃんじゃん手に入る。しかも、タダで。
考えたら鎌倉なんかまちじゅう松だらけ。誰でも労せずして手に入る。これがどれほど恵まれていることか、本当に心して感謝せんといかんことだと思う。
先日、極楽カリーにて例によって深い話になったのだが、これから仮に紛争の時代が激化すると我々は以前のようにあっちこっち飛ぶということができなくなる。
海外を放浪して、もの珍しさに刺激を受けていた時代は終わり(実際、今の若い子たちは海外旅行なんかしない)、移動することで何かを得ようとすること自体がままならない、つまり「植物化する」わけだ。
花も木も、自由に動くことはできず、ただひたすら根っこを伸ばし、同時にその手を天に伸ばす。そして動かないながらも香りやさまざまな信号などを使って虫や動物など他の種族とコミュニケーションをとり、全体調和を可能にしている。
どこに住んでも良いし、多重拠点も良いけれど、「根を張る」感覚をしっかり持つことはとても重要で、それがすなわちグラウンディングだ。木々はそのことを教えてくれる。
システム変更によってこれからますます「上方向」の力は強くなる。二元性に意識を残したまま体軸とエネルギー軸の一致なくフワフワしてれば魔界のささやきにそそのかされるだけ。
レッドブル飲んでも翼なんか生えない。