既知外の皆様
一昨日、久しぶりに三嶋大社に行きましたが、ここは本当になんだかよくわからない神社という印象なんですよね。
頼朝挙兵の地、ということでいつも頼朝押しな上に、今は三島市を挙げて「例の13人」のキャンペーン中。そりゃまあいいんですけど、頼朝センパイの帰依が篤いなら「軍神」ならまあわかるけど、ここで祀ってるのはコトシロヌシさんで、商売繁盛のえびすさんてことなんですよね。なんかチグハグな気がするんですよね。
で、三嶋大社といえば「三嶋暦」。
これについて詳しくはnoteに書いておきました。(このトピックス連載中)
◉賀茂氏と「暦」に関するメモ(1)https://note.com/kaorissima/n/n27cbde32330f
◉賀茂氏と「暦」に関するメモ(2)https://note.com/kaorissima/n/n9550e922a35f
日本でいう「旧暦」とはつまり太陰太陽暦のことですが、これはすなわちシュメール人が紀元前2000年(!)には使っていたもので、バビロニア暦とも呼ばれている。(それはつまり、ユダヤ暦でもあります)
まーざっくりいうと、暦とは、シュメールから日本に伝えられた、みたいなことなんですけど、そーゆーことはほとんど知らされずに我々は生活しているわけですね。
まーその辺のことはnoteを読んでください。
で、ざっくり伊豆と関東一円では三嶋暦が使われていたわけなんですけど、これについて驚いたことがあります。
大社の名を借りて(事実上の)賀茂氏が発行していた暦は、その頒布権を持つ人の手によって各地に頒布されていた仕組み。いわばフランチャイズですよね。
10年ぐらい前に初めて訪問した時、江戸時代まで鎌倉では山ノ内村の飯田氏という人が三嶋暦を扱っていたとの記述を見つけました。ちなみに山ノ内村というのは、我が実家のあるところです。
これなんですよね。
で、山ノ内の飯田って誰よ?
ということでしばし考えた時、「あ!!!!!!」と本当に驚いたのが、うちの近所にある金物屋で、
三嶋屋さん
屋号が三嶋屋で、名は飯田さんでした。しかも元は鍛冶屋(なんと!)です。
金物屋は廃業したけれど、現在でも屋号は残っている。
えーーーーーーーーーーーーーー、こんな近所にそんな縁があるなんて!!と心底びっくりしたものでした。
で、この暦フランチャイズ制、なにも縁もゆかりもない者にその権利を渡すとは思えない。そして賀茂といえば製鉄。この三嶋屋も鍛治。ご先祖は賀茂族なのだろう、、、という風に想像したりしました。
・・・・前段が長くなってしまったけど、掲題の件箱の話ではありません。
一昨日「暦師の館」で聞いたことがどうしても引っかかる。
曰く、「三島市は戦争の時に空襲を受けず無傷だった。それは大社があるからだ。ここが文化都市として貴重だからだ」というもの。
しかもこの町の有力者である某氏は、空襲を受けないということを事前に知っていた、とかなんとか。
これ、「京都は文化財が多いから空襲されなかった」という、実際は「単なるデマ」に過ぎない話がある(事実として、原爆は東京湾や横浜も含む17箇所が最初の投下を検討されていて、その中にはもちろん京都も入っている)けれど、それに似た話なのか、
それとも、実際にはその京都の件すらデマのデマで、「ある程度の被害っちゃ被害」に納めるような米軍の算段だったのか。いずれにせよ京都も三島も「賀茂氏の町」であることは事実だ。
そこはやっぱり謎だわ。
・・・・・てなことをつらつら書いてみたものの
最近になって気づいた!
要するに、これもんの話をさせたらどこまでもディープなところに突っ込んで行きたくなるのが我がりーかお総研だが、
その前に、みんなはそもそも「古事記」みたいなところからしてチンプンカンプンなのではありませんか?という疑念。
まーそんなもん、わたしにしたらググればいくらでも出てくるじゃん!と思いがちだが、もしかして講座にした方が楽しめるのかな?と。
「オトナの学び直し」って感じで、注目ポイントと要注意人物とキーワードを掴んでもらえたら、その後の説明がわたしもラクなんだわ。
・・・・というような話ですので、「とりあえずの古事記」みたいな基礎シリーズでもやろうかなって閃いてる。
でも、みんな来てくれるのかしら?