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欠史八代の謎解き完了。それから「名前」は大事だよという話

その後の世界を作るために


何が何だかわからず訪れた前回とは違い、今年はみーーーーーーーーーーーーっちり理解を深めた状態で出雲を訪れた。

というよりも、日本の古代史に向き合うということはすなわち出雲にみっちり向き合うということで、そこがわかれば自動的に「欠史八代」と言われている謎の「空白期間」のことを知ることになる。

で、結論から言うと、それは空白でも欠史でもなく、実際には各「豪族」の諸先輩方がきっちり生きて活動なさっていた事実があり、それは口伝を読み込んで地図を調べれば「はっは〜ん」と納得いくものなのなのだが、どうしてそれを記紀に記して日本の「正史」としなかったのかについても、今のわたしとしては「昔の人たちの優れた見識による判断」としか思えなくなっている。

というのも、実際は「平和な国譲り」なんてなかった。

そこにあったのは「戦争に次ぐ戦争」、『ゴッドファーザー』とか『仁義なき戦い』ぐらい血塗られた裏切りと策略の歴史なわけだが、凄惨な歴史をそのまま記したら、その後の「国家」としてどうだったんだ?という想像を働かせてみるとわかる。

「やった側」と「やられた側」に色分けされて、やられた側はいつまでも被害者意識を持つだろう。社会にとって被害者意識ほど厄介なものはなく、いつまでも怨念や怨恨に生きる者の人生はつらい。

また、そんなように勝者と敗者をきっちりさせることが、その後の「国家づくり」に役立ったとは到底思えない。

しかしながら古事記などは、その編纂を命じられた者が、発注者のオーダーに叶うようにまとめつつも、どこかに真実のエッセンスを暗号のように組み込んで、その読み解きは「未来のヤツに託したぞ!」といった気配をみることができ、それは「情報操作」であり「時系列の捏造」かもしれないが、上記のような理由を考えると、それを非難することにもはやどんな意味があるのか考えざるを得ない。

それよりむしろ、古事記から1300年程度の長きに渡ってみんなが謎に思っていたことが、今という時代に口伝の開示やらネットの普及などで本当のことがわかるようになってきたことが凄いなと思うし、過去のことを冷静に見ていこうとする試みの方がよっぽど重要だと考えている。

逆に言うと、「1300年の時の流れに耐えるエンタメ」として古事記ほど面白いものはないんじゃないか。そんな風に捉えている。

・・・・・この話は長く複雑なので、やるやる詐欺みたくなっている古代史講座できっちり説明したいと思っています。

未来を作るために過去を考える。もしかしてそれが「物部からの伝言」かも(笑)。

 

 

で、今年みっちり歴史に向き合う中で、強烈な気づきとなったのが、

とにかく名前が大事だよ

ということ。

名前というのはそれ自体が呪術みたいなもの、言霊を含むものであって、「千と千尋」でも描かれるように、名前を取られてしまったらその人間は魂を抜かれてしまう。

神社の祭神なんかはそれが最も如実に現れたもので、「本当の名前」ではないものにすることによって、「わけのわからない存在」にして封印している、ということはよくあると見た。

なぜ封印する必要があるのかといえば、それはそもそも「やましい」からであって、日本の場合は伝統的に非業の死を遂げた者、あるいは謀殺した者を祀ることでその霊力を味方につける、最低でも祟られないようにする、というお約束みたいな「手法」が古代から最近(乃木神社の例を見りゃわかる)まで連綿と続いている。

このパターンでない場合の神社は、単に「氏族の活動記録」としての機能を果たしていると捉えるとわかりやすい。

まずは「祖先を祀る」というところから始まって、その氏族が土地を変える度に、新たな土地に「分霊」する形で神社を建てる。だからその氏族あるいは、氏族の関係者がその土地にいた、ということの証になる。

「名前」は古い地名としても残るし、あるいは逆に、人物の名前を土地の名前にちなんでつけることも多い。

例えば、「氷川神社」は埼玉にやたらと多いが、神奈川ではほとんど見ない、といったことは、埼玉エリアには「氷川神社」を信仰する氏族・部族とその末裔がいた、というわけで、その氏族は神奈川では活動しなかった、ということになる。

そこで「では、氷川って何?」という風に名前について考えると、色々と推理が成り立つわけで、そこからが楽しくなってくる。出雲に流れる「斐伊川」のことじゃないかしら?とか。

・・・・・というわけで、縁もゆかりもない人がその神社に行って、祭神についてはどうでもよく「願い事をする」みたいなのは、かわいらしい行為だけど本来的な話ではないようにわたしには思える。けれど、そういうのが好きな人もいるから神社側も集客としてそれを利用しているだけ、と言ったら身も蓋もないけれど、まあそんなようなところだろうと思う。

このどちらでもないパターンの神社としては、そもそもの「遥拝所」だったり「祭祀場」だったりしたところに、その後社殿が建てられた、みたいなのもある。もともとは神社に拝殿などがあったわけではなく、自然信仰として山や磐座を神宿る場所、としていた感性の方がわたしは好きだけれど、「祭神」に関して注目してみると、その場所がどういう人たちの活動エリアだったのかがなんとなくわかってくる。

ただし、明治期の廃仏毀釈でたくさんの神社も廃止されたり祭神を書き換えられたり、なにかと合祀させられたりしたから、その辺の注意も必要だけど。

いずれにしろ、よい祀り方をしているところであれば、いわゆる「気の良いところ」だろうし、我欲旺盛な人たちが願掛けに来るようなところは変なもんも漂ってるし、逆に人が一切訪れもせず手入れもされていないようなところは「気が枯れている」わけで、気の枯れ=ケガレということになってしまう。

 

いずれにせよ、遠くのヨソ者よりは、自分の氏神だったり産土神だったりに想いを向けることから始めることが大切なような気がしている。

 

 

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