時間を空けると忘れてしまうので、この件。
出雲口伝を知る前は、熊野大社と言ったら和歌山と思っていて、出雲にあることさえ知らなかった。
ややこしいんだけど、「ヤタガラス」紋は和歌山で、出雲は亀甲に「大」の字。(この紋は、新潟の弥彦神社と同じものなので、たぶん「大彦」さんと関係あると思う)
で、ややこしいんだけど、出雲の「この場所」が、そもそもの出雲大社にあたる場所というか、古代出雲王家はここにクナト神(塞の神)を祀っていたようです。
現在は、境内案内図を見れば主祭神はスサノオ(徐福であり、饒速日であり、アメノホアカリ、、、ややこしい!!!!!!!)ということになっているけれど、5月に行われる「本宮祭」が「天狗山登拝」とのことなので、天狗=猿田彦=塞の神。なので、その伝承は実証されたようなもの。
しかしややこしい。主殿、つまりセンターがいわゆるスサノオなのに、左側のサブ社にもスサノオがいる。
そしてここの昭和っぽいサイトには
<旧 称> 熊野坐神社 熊野大神宮
熊野天照太神宮<別 称> 日本火出初社 出雲國一宮
<主祭神> 加夫呂伎熊野大神櫛御気野命と
称える素戔嗚尊
と記載されていて、櫛御気野命というのはスサノオとされているけれども、実のところよくわからない。
とにかくすべてがややこしいのが出雲。というより、この国の深層界自体がめちゃくちゃややこしいから仕方ない。
しかし、、、、、もうそろそろ、すっきりさせた方がよい時代なのではないかと個人的には思います。
で、とにかく、ここが「本来的な出雲の大ヤシロ」であるのは、こちらに「鑚火殿(さんかでん)」というものがあることでわかるんですが、それって何かというと、「火を起こす場所」ってことなんですわ。
この鑚火殿の中には発火の神器である
燧臼(ひきりうす)と
燧杵(ひきりきね)が
大切に保管されており、祭りや神事の際に
神聖な神火を起こすのに使用されます。また、毎年10月15日に行われる
「鑚火祭」では、11月23日に
出雲大社で行われる
「古伝新嘗祭」に使用する神聖な火を
起こすために、この燧臼と燧杵を
授け渡す儀「亀太夫神事」が行われます。
要するに「聖なる火を起こす臼と杵」が格納されている建物ってことなんですけど、
この聖なる火起こしが、そもそも出雲大社の神事だったんだよっていうことを暗示しているというわけ。
しかし、聖なる火起こしといったらゾロアスター教ですよね。拝火教とも呼ぶ。BC7世紀ぐらいの、「最古の宗教」ともいわれる自然崇拝で、ペルシャとかあっちの方で発生して東に広まった。
当然、広義的なインド系である出雲族がやってきたときには、この拝火文化を携えていたんだろうね。
やーーー、世界は一家人類はみな兄弟よ。
ま、ところが!
その後めちゃくちゃガタガタあって、出雲王家は王権を明け渡すことになるのよね。つまり祭祀権を剥奪されたということになるわけなんだけど。
それでも「この火起こし器具だけは、ここで死守してやるぜー!!!」って意地で守り抜いた、とされてるわけなのよね。
そこで掲題の件、「亀太夫神事」ってやつなんだけど、これがものすごい「奇祭」と言えるもので、興味津々。いつか見てみたい。
それはどういうものかというと、、、、
出雲大社では「古傳新嘗祭」ってものがあるようなんだけど、そのために、火を起こさなきゃいけない。そのお道具は、熊野大社で管理している臼と杵なんだけど、これを毎年「レンタル」するんだって。
で、貸してもらうのに、出雲大社ではそれ用のお餅を作って禰宜が熊野大社に持参する。
一方で熊野は、亀太夫っていう、およそ禰宜には不釣り合いな身分の人が対応して、このお餅の出来に関して罵詈雑言ボロカス吐き続ける。
それを禰宜は黙って聞いて、亀太夫に許してもらうまでじっと耐える、、、、というものなの。
いわば予定調和のプロレスの極みを「神事」として毎年やってはるのよ!!!!
すごくない?
で、これは何を意味してるかっていうと、上記のような「本来の出雲側」が、現在の出雲大社の社家(出雲では国造と言うんだよね)を「絶対許してねーから💢💢💢」っていう「演劇」、
まーつまり、ぶっちゃけ今の出雲大社っていうのは、古代からの出雲神族とは関係ないんですよ〜ってことを、
文章ではなく、神事として残し伝えている
ってことなのよ。
や、これを知った時、すっごいと思った。
なんていうか、あらゆる意味ですごくない?
恨みの深さいかばかりか!という意味でも、「後世に残す知恵」という意味でも、また、とは言えなんとなくユーモラスである点も、俺らの国ってなかなかちょっと例を見ない深さを持っているわよ。
かつ、お道具を持ち帰った出雲大社は、これまた神事として「百番の舞」といって、神前に舞を奉納しなくてはいけない。「歯固めの儀」って、石を齧るってことで、この二つは多分「罰ゲーム」みたいなものだと思うんだけど。
辺りが暗闇に閉ざされ、静まり返った午後7時頃、拝殿からの「オジャレモォ(お出でませ)」の声が境内に響き渡ると、國造以下神職たちが参進。薄暗い燈明だけが殿内をかすかに照らす拝殿にて、國造は古式のままに神火・神水にて調理された新穀の御飯と醴酒(ひとよざけ)を天地四方の神々に供し、自らも食して相嘗の儀を行ないました。その後、國造は熊野大社より拝戴した燧臼(ひきりうす)に「新嘗祭御燧臼」と墨書し、真名井(神聖な井戸)より取り出した小石にて「歯固めの儀」、そして榊の小枝を両手に捧げ持ち、神歌に合わせて神舞を舞う「百番の舞」をお仕えしました。
この相嘗の儀と神舞によって國造は神々の霊力をその身に宿し、歯固めの儀にて更なる健康長寿を祈ります。こうして冬の訪れと共に低減した祖神よりの霊力が蘇るのであり、古伝新嘗祭は古くより國造自身にとって最も重大な祭事として奉仕されてきました。https://izumooyashiro.or.jp/archives/saiten/5290
で、そんな亀太夫神事が描かれていたのでちょっと嬉しくなった。
いや〜〜〜〜〜〜〜、一度ライブで見てみたい。
参列した方のレポート見つけたわ!
いやー、つくづくおもしろい国だよね〜〜〜〜〜〜〜〜。人の営みって、奇妙キテレツだわ。
でも、なんか好きw