出雲旅のレポートです。
今回は、これに参列するために行ったメインイベント「鎮魂祭」。
当然ながら初めて訪れた物部神社。
鎮魂祭自体は夜の20時から。その前に18時から境内で神楽の奉納があるわけですが、13時には本殿内の「席取り」が開始されるとのことで、玉造温泉から稲佐の浜を経由して、12時過ぎには到着しました。
前日からの大雨も到着時には止み。
いくらなんでも早いだろ!と思われましたが、甘かった!というのも着座席のほとんどは、玉串を奉納する幾多のグループによって確保され、我々はなんとか最後尾の1列を押さえられた、まさに間一髪な感じ。「よ〜し、来年は玉串ね、、、、」と一同学ぶ(笑)
入り口の灯篭に刻まれた文字を見て、「なるほど、物部は世の中的には『軍神』扱いか〜」と妙な感慨というか、我々が得ている「感じ」との間にかなりのギャップを感じつつ、日本の歴史を感じつつ。(ま〜そんなこと言ったって、物部だって滅ぼされてしまったんですけどねえ)
でも境内はそんな軍神感は、(わたしには)あまり感じられず、なんというか穏やかで、のどかな感じ、飢饉の時に村を助けた豪農の顕彰碑などがあったりで、なんかヒューマンな感じを得たりして、まーそれは我々がこちらの神社に、これまでのコンタクト実績から「とにかくいい印象」「優しくて親切な印象」を持っているからなのか、十種神宝にめちゃくちゃ感謝しているからなのかも知れませんが、とにかく前日巡った各所に見られるような、おどろおどろしさは一抹もなかった。
社殿は春日造としては日本最大だって。しかし正面からでは「ドーン」感はわからない。近寄ってまじまじ見ると、確かに大きい!確か、出雲大社と同じ高さとか。
それで、どセンターに「亀さん」います。
これは謎。
なぜならここは、正確には出雲ではなく石見。大社造りではなく春日造り。
かつ、まことしやかに言われているように、旧出雲王国を一時奪取した物部が出雲を監視するために置いた社、ということであるなら、この亀さんは出雲リスペクトの意味合いではないということになる。
そーすると、この神社のトーテムは「鶴」だから、「鶴と亀がすべった」話になるのかしらん、とか。
何を見ても自動的に深読み選手権が始まってしまう。
わたしこの鶴のマーク、好き。
しかしここでも謎なのは、物部ならば紋章は「ミツガシワ」のはず。しかしそれはどこにもあしらわれていない。なぜ?
ちなみに言うと、この祭神「ウマシマジさん」が鶴に乗って降り立った、ということになっているわけだが、各地にある「〜に乗ってやってきた」系のお話っていうのは、つまりその神は「ローカル」じゃないですよ、どっかヨソからやってきたんですよということを暗示しているわけです。
また、さらに言えば「ウマシマジさん」という人物は存在していない可能性がある。そのあたりのことは、次回のディープな勉強会でお話ししようと思ってますが。
ではなんでこの地に?という話だが、今までに見てきた口伝によると、出雲攻略のため物部軍と宇佐軍が落ち合ったのがこの辺りってことのようなのですが、考えられることとしては、ここはまさに「石見銀山」。
この周辺の鉱物資源を押さえたかったのではないか?というのがひとつと、
それもそうだけど、ここはつまり、それ以前からの三瓶山の遥拝所だったんじゃないか、というのがもうひとつ。
ほらこんな風に、ぽっこり見えるわけなんですよね。これは写真より、現場で見ると、なかなかのインパクトがあります、あの山の向こうから太陽が昇る雰囲気などを想像すると。
この三瓶山は10万年前に大噴火してるわけなんですよね。そして今の地形ができた。
近所に古代祭祀遺跡があったりすることから、昔は、物部神社の境内地も、現在よりははるかに広かったんだろうな。。。。
ちょっと前までイミフだったこういう説明書き(?)も、今ではゲキ見しては深読み選手権。だってものすごい情報量が潜んでるんだもの。
御神領とされている場所は、ウマシマジさんの墓所というよりは祭祀場跡だと思う。
超最近できたらしい鳥居や柵も、1000年もすれば神さびた風になっていくのだろうが、その頃存在するのだろうか。神社がというより日本が。
そしてそんな未来にはどんな神話が語られることになるのだろうか。もしかしてわたしたちはアトランティス扱い。争いが究極化した挙句に海に沈んだ、、、、、的な。
そして「古代の何か」のように掘り出されたわたしたちの日常のものは、誰も意味がわからない。わたしたちが今これを見ているのと同じように。
「古代人はみんな手に小さな鉄版を持っている。果たしてなんだろう。全世界共有だから、ひとつの大きな宗教があったのだろう。。。。。人々は古代文字によって通信を図っていたのではないだろうか」。
・・・・そうです、それがあいほんです。お金という宗教に支配され、人々はお金と承認を得るのに必死でした。末期には、人々は好んで自分の生活写真を開示したがっていました。
立派な巨樹があったけれど、巨大すぎてどうにも収まらず全く伝わらない写真(笑)
その脇に発見したものは
この石なんだろう???
頭部が欠損しているけど、これ塞の神じゃないの!!!!男女が腕を回している。そして真ん中の玉は「子宝」だろう。
こちらは先日の大山(オーヤマ)で見たもの。
一旦、神社を離れ、スサノオ(徐福)上陸地へ。
沖の向こうから大船団がやってきた脳内映像で感慨深い。
なぜなら各地の海の神事で何十隻もの漁船が一斉に航行するようなのを見るたび、イミフに涙出たりしてたんだもん。
・・・長くなったので続く、次は祭祀のレポート。
そういうわけで、これ、来てね!