前回からの続きです
この鎮魂祭参列にあたり、いろいろなことを調べたのですが、その中でもめちゃくちゃ興味深い「お神楽」についての論考を教えていただいたんですよね。
これ、音やリズム、ダンスについて関心のある方は是非一読してみて欲しいんですが、音楽家の福岡ユタカさんによるレポート。
report14_05_music_and_dance(PDF)
福岡ユタカ??? って、検索したらなんと!!!!高校の時好きだった、めちゃくちゃカッコよかった伝説のバンド「PINK」のヴォーカルの人だった!
えーーーーーーーーーーーーー!!!!コーフンするわたし!まさかの再会!(会ったことないけど)
めちゃくちゃ懐かしくなって音源探したら、復刻版CDボックスセットが中古でなんと50万!!!!!!!!!!!!!!!!!(という、またもや本題からめちゃズレた話だけど、センスいい音楽が好きな人なら絶対知ってるとにかくすんげーバンドだったんだよ)
で、とにかくこのレポートによって「大元神楽」というものを知り、神楽とはそもそも何か、ということがなんとなくわかったわけなんですけれども、要するに「調子」がキモなんですね。正調六調子、というものが。
和で言う「調子」とはリズムとテンポを合わせたようなものだろう(ああ、言葉って難しい)と理解しました。
それでこの「六調子」というのが、実に気持ちイイ!日本ではマイナーだと思うんですが、ブラジルのどっかの地方の「調子」に似ている。つまり魂に響くんですよね。
上記のレポートに書かれているんですが、その昔(といっても昭和)は演者にたびたび神がかりが起こり、完全な憑依状態となって宣託が始まることが珍しくはなく、さらに、そもそもは、神職が舞っていたものを、明治になって、神職は舞禁止、舞うのは氏子、という風にされてしまったんだそうですよ。
はっはーと思いましたね。神職が舞うことで、宣託が起きてしまったら、支配側にとってはまずいことですからね。。。
YouTubeで大元神楽を検索すると、高画質な物も色々と出てくるのですが、平成7年の映像であるこれが、現代のものより「深み」があるので、興味ある方は是非是非見てください、すごいから!
特に「天蓋」という演目の凄まじさといったら!
「調子」が魂に響くと、体が勝手に踊り出したくなる。
みんながノッているから、自分もノッとこう的なのではなくて、意識の外からやってくるグルーヴというかなんというか。
やっぱり我々民衆には「ノリ」が必要!
ノリをドライブするものが、拍子と声!
そしてリズムに合わせて体が動く段階を超えて、「何か」がその人の身体の中に入って動くようになっちゃうのだろう。
岡本太郎はそういうことをよくわかっているのでこういうものが描けるんだろうなと思ったりもします。
いや、でもこれ確かに舞っていたらわたしなんか絶対もってかれる、下手すりゃ命落とすだろう、、、とリアリティを感じるようになりました。
想像するに、現代ではより「エンタメ」的な側面が強くなっているのでしょうけれども、こういうものって「いわゆる巫女体質」の人は注目に値すると思うんですよ。。。ただ、本当に斎戒沐浴的な、徹底した浄化をした上でないと、おかしなところに繋がっちゃたりして危険なんだろうな、、、とも思います。
で、こういうものを見ていて思うのは、やっぱり
「振る」
ということがすべてなんだろうな、、、、ということです。
わたしたちの生命活動、魂の躍動といったものの根元が「振動」なんですよね。だから御幣でもなんでも、振りに振る。
ふるべゆらゆらとはよく言ったもの。物部の「比礼」も、とにかくヒラヒラ振るだけで、たちどころに具合良くなる。
直線的な動きではなくて、変則的な動き、カーブを描く動き、それこそが生命であるし、人生でもある。
大元神楽の場合は、本来、これを田んぼの中で小屋を作って村人総出でやったのだから、人の振動と振動がぶつかり渦になり、それを土に伝え稲に伝える、、、、という実に自然合理的なものだったのでしょう。
その証拠に、「天蓋」の中央に位置する神は「埴安」、つまり「土」です。
むむーーー深いーーーーー❤️ ますます「昔の人」のすごさに痺れてしまいます。
この「振る」という行為の凄さは、当然ながらこの後の鎮魂祭でもまざまざと実感させられました。その話は次回。
こちらは鎮魂祭当日に奉納された(大元神楽ではなく)「石見神楽」で、八調子。
じっと眺めるちびっこの様子もかわいらしい。
小さい時にこういうものに親しんで育つ子がいるんだ〜というのは、日本の希望のような気がしました。
つづく