続きです。
20時からいよいよ始まる祭礼。ガヤガヤしていた拝殿内は、神職達が登場すると空気がピリッと変わる。儀式は合図の笛も号令もなく始まるのに、参列者一同が水を打ったように静まりかえることに、非常な日本らしさを感じました。
宮司さんからは「いのちを司る儀式ですので」と短く端的な一言があり、「それ以上の説明ってあるだろうか、、、」と思うと同時に、「それだけでみんながわかってしまうこと」に「マナー」などというものを超えた何か、わたしたちが誰にも教わっていないはずの何かを感じ「すごいな、、、、」と思いました。(陳腐すぎるけどそれ以外に言いようがない😢)
写真中央の階段の奥が「なにごとかがおわす」本殿で、御簾がかけられています。ここは名実ともに「心臓部」なのだと感じました。
祝詞(わたしたちが知っている十種神宝大祓祝詞とも違うものでした)の奏上の後、そこに様々なお供物が、神職たちの「型」に沿った美しい所作で次々に運ばれていく。その所作「でなければいけない」なにかがあるのだろう。型というものはそういうものだから、、、(ということを理解できたのは、今年取り組んだ「武ノ道」 のおかげです)。
この所作は強いて云うならば「ロボット的」で、わたしの妄想解釈では、人間としての気配を排除する意味があるのではないか?と考えたりしました。つまり個々の人間として保有している「菌」が御神体(形あるものとは限らないです)に影響することを避ける意味があるのかな、、、ということです。
で、御簾の内側は「見てはいけない」のです。なぜなら量子は人間の観察によって変化してしまうからです。御神体(くどいけど、形あるものとは限らない。むしろ「空(くう)」である可能性すらある)のピュア性を保つのに、人間の視線は「余計な情報」となってしまうのかも。
(まー、何を見ても何かを考えてしまう性分なので、聞き流してください。あくまでわたしの推理ですから。しかしいつの日か、こういうことをご存知の、しかるべきどなたかに教えていただけないものかな、、、、)
みたま鎮め儀式になると、場内の電気は完全に消され、暗闇になります。
上段では何が行われているか知ることはできません。ただ、なにごとかの所作が行われ(後述します)、「ひと〜」「ふた〜」「み〜」「よ〜」、、、と十種神宝に則った「カウント」と拍子木(笏のようです)の音があります。
上段で「ひと〜」パチン!と音がすると、下段にいる猿女役の女の子(13歳以下の少女でなければいけないそう)が、「ひと〜」と復唱し、右手の鈴のついた鉾をドン、と下ろし、左手に持った笹を大きく回す。シャリシャリシャリという音が聞こえます。
このように上段と下段で1セットずつを10回。
そして、1セット行われるたびに、わたしは体内で何かが起きているのを感じました。たぶん、下から順に、だったかと思います。
おそらく、、、おそらく、それは我々の体内に内包されている「生命の樹」が呼応しているのではないか?と思いましたし、実際、五つぐらいの時から、ワンセット終わると場内の人が一斉にゴホゴホ言うので、体内に悪い「気」がある人はそれが抜けて出ているのだろうと思われます。
我々一同にゴホゴホはなかったけれど、わたし自身はハートチャクラに一番強いものを感じました。
極めて「呪術的」と言える儀式なんだと思いますが、これらのことが決して「おまじない」的イメージでは済まないことは、身体を持って体験したので、、、、いやーなんというか、、、、「すごいなあ」以上のことは言えない悲しさではあるものの、わたしとしては真面目に探求していきたいし、未体験の人には是非体感してみて欲しいとしか言えない。。。。。「現実」の捉え方がまったく変わってくると思うのです。
それで、、、、
一体、どうして「所作」でこんなことが起こるのか。
見ることはできませんが、上段で行われている一部は公表されています。それは、権禰宜が2体の「人形(ヒトガタ)」、崇敬者一同と、氏子一同とそれぞれ書かれたものが入った箱を3回右に回す(振る)、そして宮司は秘密の言葉を唱えながら、玉の緒を一つずつ結くというもの。
その呪文がなんなのかは知る由もなく、わたしも探りたいとは思いませんが、わかることは「人形と言葉」。
正直、や、そんなことで?と思いませんか?
・・・・で、わたしは逆に「そんなこと」が大事なんだなあ、、、と感慨を深めました。
そう言えば人形って、実家にいる頃は、毎年神社の氏子会で配られていました。体にこすり、息を吹きかけ、名前と年齢を書く。そう言えば、、、、もう何年も途絶えているんじゃないか?何故なんだ?
で、この人形って、もしかして本当にとんでもないものなんじゃないだろうか、マリアグリッドも一種の人形なのではないか?
だとしたら、さらに可能性が広がるんじゃないか、、、、ということを考えたりもしています。
可能性というのは、もちろん「誰にでも簡単に使える」という意味も含んでのことです。
今年の1年は、ほぼ「日本の根源的なこと」を探ることに時間を費やしました。なんでだかわからないけど、そういう方向にもっていかれた。
「なんでだかわからない」は、どうせそのうち「はっはーーーーーーーー!」ということに必ず繋がるはずなので、よくわからないながらもマリオカートみたいな様相で(イミフ)進んできました。
今以降の時代、短期的な見通しにおいて、「いのち」はめちゃくちゃ焦点になってくる。(←はっきり言って何を指してるのかわかりませんけど、とにかく、その感覚以外にないのです)
わからないけど、国難に近い「何か」の時に、必ず力を発揮する、これまた「何か」としか言えない何かがあると思っています。
なんか知らんけど、そのことは、みんなどこか頭に入れておいて欲しいなと思ってます。
鎮魂祭に話を戻すと、ともかくも、宮中でも行われているこんな秘儀が地方の山奥でひっそり守られ続けた。
かなり最近まで、一般の人は立ち入りを許されなかったことが、今では誰でも参列できる。当然ながらぜんぜん商業化されてもいなく、知ってる人しか知らない。
そのことが逆に日本のとてつもないこと、だと思うのです。
まーそんなわけなので、ぜひ16日の講座にお集まりください。なんで物部なの?の理由もわかると思います。
ではまたー!