書くことがたまりすぎてきちんと書くのを放棄している訳ですが、直近でのライトなネタとして、「お金のワークショップ」。
昨日開催しました。今晩もありますので是非いらしてください。
【zoom講座】お金のワークショップ(4月10日, 11日)
昨日の回も感動的でした。
お金というツールに過ぎないものを介して、がんじがらめになっていた人が、自分を傷つけ続けた人への「赦し」そして感謝の気持ちを向ける様、それが上っ面ではなく魂の底から湧き上がった様子をこの目で見るのは、わたし自身の深いところを揺らします。
正直、わたしはお金にそんなに興味がありません。実はこの執着のなさ加減を自分でも気の毒に思ったりしていました。
「持ってたら全部使ってしまう人」の典型例だし、「お金のためだけに働く」のは苦痛でしかありません。
最近わかったのですが、わたしは半分人間ではないらしい。ので、今となっては執着のなさも「なんだ、そらそうに決まってるわなw」と思うわけですが、お金をモチベーションにできる人が羨ましい、お金のためにやなことを我慢できる人が羨ましい。お金ごときで激昂する人、お金の話になると急に雲行き怪しくなる人の気持ちもイマイチわからない。
お金をたくさん稼いでいるというだけで、その人を偉いと思ったりすることも、稼げていない人をダメだと思ったこともない。
でもお金って、ものすごく人間性と結びついているんですよね。結局、その人の「器」以上のものは得られない。
「いわゆる金持ち」を憎悪している人は、絶対お金持ちにはならない。
自分よりお金があるだろう人のことを自分の限られた世界観の中で想像して、決めつけて、なぜか憎悪しているわけですが、実際は幻想の上の「羨望」であることは自覚しない。お金を持っている者の苦労や責任、あるいはリスクテイクのことは考慮せず(想像できないから)、お金がある状態だけを想像して、なぜか憎悪の念を持つ。お金がないことが正義だとすら論理を差し替えたりする。
一体どうして?
お金っていう、スーパー身近なモノ(あるいは数字)が、多くの人に過剰な意識を発生させていて、多くの人の自由を阻害していることが、「へ〜おもろいな」「不思議だな」と思ってわたしは見ているのです。
わたし自身はお金を愛してもいないし、無視してもいない。得意でも苦手でもない。。。。と思ったけど、数字という点ではクソ苦手。
だからこそ、むしろお金というものについて折に触れ考えてきました。
お金のワークショップというのは、
「こうすれば稼げるようになる」みたいな話ではありません。「お金のブロックを外すには」みたいな話でもありません。
この世界の悩みや苦痛のほとんど、9割が実は「人間関係」なんですよね。そしてお金って要するに人間関係なんですよね。
その話は「最新二元論」でもさせていただきました。
お金を見つめることで、自分自身を知ることになります。結局うまくいかないのは、お金というツールと自分自身の関係性を歪んで認識しているからで、
「自分を見つめる」みたいな観念的なことは、「お金」という具体を通して考えるのが一番手っ取り早い。誰にとってもスーパー身近なことだからです。
なので、お金をたくさん稼ぐ人を増やしたいからではなく、苦悩やモヤモヤから解放される人を増やしたいがゆえに、このワークショップを開催しています。
結局みんな、自分からは逃げられないし、
持ったお金を生かすも殺すも自分次第だってことに気づいてもらえたら嬉しいです。
【zoom講座】お金のワークショップ(4月10日, 11日)
今晩9時。お待ちしています。