オサナイカオリノシゴト

KAORISSIMA ENERGY WORKS

なんらかの剣術をやってみたい(と思うもののw)

その後の世界を作るために


本日も明けましておめでとうございます。

 

最近、薩摩藩の「示現流」という剣術を知りまして、かなりな衝撃を受けたワタクシ。なんと言いますか「礼法」としての武道ではなくて、文字通り「必殺」のための鍛錬だってことを思い知らされた。

現実的に「戦い」のないこんにちでは、武道は礼法に近いじゃん。だから試合でも「礼」に始まり「礼」に終わる。でも示現流では礼も握手もない!(だって戦いだもの)

それと、どんな武術でも大概は「型」を徹底して身体に染み込ませるのが常識で、型には実は緻密な理論と、そうでなければならない必然性があるわけだけど、示現流では朝に1000回、夜に3000回、木刀を振るのが稽古で、この木刀というのも山に入って採ってくるめちゃくちゃ硬い枝(つまりその辺にあるもの)で、それをめちゃくちゃ硬い枝の束に打ち付ける。

知恵(左脳。ごちゃごちゃ考えること)を捨てて、とにかく無心で斬り込め!というわけだけど、それだけの数を振れるってことは、勝手に身体が型を作るわけで、「型があるから身体ができる」の真逆で、「振ってりゃ型が自然にできる」って、度を越した合理性よね。目から鱗だよ。

そして実際、薩摩兵はめちゃくちゃ強くて伝説にもなってるわけだしね。。。。。

やーもう、この辺のことを考えたら、脳内で「生麦事件」から「薩英戦争」、そして「西南戦争」まで一気に駆け巡りました。

薩摩といえば、鬼の島津。正直なところ、以前は非常に残忍な印象しか持っていなかったんだけど、最近はものの見方がまた変わりまして、世の中を「良い/悪い」で捉えない、あくまで人類史といして眺めていると、まー今まで考えたことなかったようなことに思いを巡らせることができます。

まーそーゆーことを言い出すと長くなるから割愛しますけど、ともかく今は非常に関心を持っているのよ、薩摩藩。

っていうか、幕藩体制だった頃の日本てスゲーなと思う。各地の殿様みんなバカじゃなかったんだね。だってバカがトップに立ったら滅びてしまう。殿様と家臣、そして町の人々との関係は、必ずしも今のアタマで考えるような「支配者と被支配者」ってわけでもなかったんだろうな、、、。そして日本全国みんな郷土に誇りを持っていた。

それぞれの藩で「藩校」というものがあって、町の人に独自の教育をしていたんだよね。それって理にかなってるよね。地方地方で気候風土も違うんだから、画一的な教育って実は役立たないのよ。中でも薩摩藩校は、素晴らしい合理的なシステムで、みんな自主独立というか、判断力に優れた人たちを生み出したみたいだよ。

 

 

それにしても城下町っていいなと思う。

松江では松平不昧が朝鮮人参の栽培を思いついて逼迫した藩の財政を立て直した。今でも松江では朝鮮人参つくってるし、茶の湯も盛んだから極上の和菓子がわんさかある。

戦時中、白い姫路城は目立つから爆撃されたら困ると言って、町の人たちは「白鷺城」を黒く塗って守った。戦地から復員して故郷姫路に戻った時、一面焼け野原でも、そこにお城が残っていることで奮い立った、お城のおかげで生きる気力が湧いた、というおじいさんの話をドキュメンタリーで見たときも泣きそうになった。

地震で崩れた熊本城だって、何年かかっても再建するって町の人は言うわけだし、お城が江戸時代の殿様の支配の象徴だったら誰もそんな風に言わないわけで、そこに住む人のランドマーク、心の拠り所として存在してんだよね。そういうのとっても素敵だなーって思う。羨ましいよ。

鎌倉に大した文化が存在しないのはお城がないからで、文化も精神性もやっぱり殿様によってもたらされたものなんだよなーってつくづく思う。鎌倉の人は能天気にのほほんと暮らすのが文化っちゃ文化だけど(最近はそうでもない)。

 

 

え、何の話だっけ。

そうそう、剣術ね。だいたいさー、日本の剣術って「防御」をしないよね。騎馬兵も盾なんか使わないじゃん。

敗戦後、日本人が「平和ボケ」するようにいろいろとプログラムが組まれて、まんまとそうなってしまったわけだけど、いや、もちろんボケられるほど平和だったことは喜ばしきことではあるわけで、平和ボケの何が悪いって思う気持ちがないわけではない。けど、実際は、平和=戦争に巻き込まれないという幻想があっただけで、水面下ではこの列島に住む我々それぞれの祖先が昔から大切に培ってきた強い精神性をすべて骨抜きにされてしまったんだよなあ。今はそれが究極まで進んだ状態。

平和と見せかけて、、、、っていうのは、「歯向かわない従順な犬である限りは、殺さないでおいてあげますよ」っていうお約束を守っただけであって、骨も抜かれて、牙も抜かれて、今では脳みそのシワさえなく、自分のことしか考えられない人々、関心を持てる範囲が極端に狭い人々で構成された国になっちゃったわけだけど、みんなどう思う?

剣術の何がスゲーかって、「やるかやられるか」の責任をみんなが持ってた時代に生まれたものだってこと。それって今の時代のバカ丸出しの自己責任論とはレベルが違うんだよなあ。

刀を抜くってことは、すなわち斬るってことだから、抜いたら斬るか、あるいは斬られるか、生死を分けるわけだから、究極の判断てことになる。で、「戦わずして勝つ」ためには、相手に「こいつを相手に刀を抜いても無駄」と思わせることで、実際は勝負は刀を抜く前についている。まーそのための「自己鍛錬」なわけで、本当に強かったら刀を合わせる必要すらなくなる。

それでもいざ刀を抜くからにはヤラなきゃヤラレる。

・・・・・みたいな環境下では、みんな自ずと高い精神性を身につけるに決まってんだよねーーーーー。

 

 

てなわけで。

ってなんの脈略もないんだが🙄🙄🙄🙄

実家で木刀を振る、ということをやってみた。一体どんだけのものだろか?というのを実感したかったから。

YouTube先生で「ははーん、こう握るのね、こう構えるのね」と予習して、庭で振ってみたんだけど、動画撮ったやつ見直したらダサすぎて死にたくなった🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣 やっぱ、なんでもいいから直接指導してもらわないとどうにもならない、、、、と思ったけど、いやいやそうじゃない。3000回振ったら何かを掴むんだろうな、と思い直した。

こんなフォームでやっても無駄!とか、ダサくて死にたくなる気持ちを捨てろってことでしょ?知恵を捨てるってそういうことだよね。

ただ、俺には1000回振ったら二の腕問題は解消されるのではないか?という希望だけが残ったぜ。

いやーーーー、あの当時の薩摩男子に生まれなくてよかった。俺なんか試し切り要員としてしか、役に立たなかったでしょうよ😵😵😵😵😵😵😵😵😵😵😵😵😵😵😵😵

 

で、なんでうちに木刀あんの?って母に聞いたら「新婚旅行で宮崎行った時にお父さんがなぜか買った」っていうからますます意味不明で。柄のところふと見たら十のマークが彫られてたからびっくりしたというオチがありました。

やだーーーーーーーーー島津じゃん!

ま、とにかくみんなも棒切れを振り下ろしてみなよ。たとえへなちょこでもめっちゃスッキリするし、丹田鍛えられるよ!

 

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