この件の続きっちゃ続きで。
わたしたちは大いなる循環の中に生かされていて、人もまた死んだ者は蘇り、また死を繰り返す。芽が出て花が咲き、枯れてしおれていくけれど、虫や風の力を得て、やがて実がなり、種が土に落ち、また芽を伸ばす。山にふる雪や雨は、地下を通って川となり、地上を潤し、川は海に注がれ、太陽の力によって蒸気となり、雲となり、雨を降らせ雪を積もらせる。この世界は循環でできていて、そこに境界線はないんですよね。
我々東洋に根付く輪廻転生の概念。それは宗教というより自然摂理。輪廻なんて、霊魂なんて、と言う人ですら、お盆にはお墓詣りに行ったり、仏壇にナスとキュウリを備えるものです。つまり我々は意識しようがなかろうが、連綿と流れる祖霊信仰の上に生活を成り立たせてきたんです。
人の生死も自然の循環も同じこと。
ところが、これが西洋人にはわからない。
わからないから、万物流転も、共存共栄も、そこに流れるしみじみとした感情(細かい振動)も感謝もわからない。その意味で、彼らは本当に神を信じているのでしょうかという疑問、また彼らにとっての神とは何か、ということを考える必要があります。
つまり、キリスト教について考えてみましょう。
キリスト教では、輪廻転生を否定します。そんなものはなく、人は生きて、一回こっきりだと伝えます。そうでなければ彼らが生きる上で都合が悪いのです。
そもそも旧約聖書に、神は人間を自分に似せて作り出し、この人間たちが自然界の頂点に立ち地上を支配せよと言った、とある。
第 9 章
1 神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。
2 地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、
3 すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。
動物たちは人間の食物となるよう神から与えられたと設定されています。
もしここで、輪廻の概念があったなら、ハンティングに興じる者が、次の人生ではキツネになりキャッキャした人間に撃たれるかも知れない。牛を殺した者が次に牛に生まれ変わって殺され食べられるかも知れない。しかし1回こっきりの人生であれば、しかももし仮にその人が罪を犯した自覚があったとて、神父に告解し「赦された」となればチャラですから、何の問題もなく天国に行ける。(と信じさせることを可能にしています)
だから家畜のみならず、動物とは人間が生きるために存在している者どもとして、罪の意識なく、感謝すら必要なく増やして育てて高値で売ることは正義ですし、また田舎の家の裏庭で飼っている鶏やウサギもひねって潰し、夜に煮込んで食卓に出すことも、一部のとってもデリケートな人たち以外は何の情けもかけることなく可能にしています。
ここでだんだんと気がつく人はいると思いますが、この「人間」というのが白人のことを指すのは明白でしょう。
思い出してください。世界史で習ったでしょう?「奴隷貿易」。
大西洋奴隷貿易: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93
彼らはアフリカに行き、黒人たちを狩り、大量の「物資」として専用に作った大型船に乗せて売り飛ばしました。お花畑平和ボケを卒業するために、こういう歴史は知っておいた方がいい。
奴隷船:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%88%B9
そんな時代が300年ぐらい続いたんですよ。ちなみにこの時に生まれたのが船舶を対象とする「損害保険」です。有名なのがロイドですね。ちなみに日本が西洋諸国と貿易をしていたのがこの奴隷船全盛の時代なわけで、当然日本人もイエズス会の手引きによって奴隷として船に乗せられたりしていたわけですから、徳川が「アッタマに来た!鎖国したるわ」ってなったのは当然のことで、ジャパンは引きこもり生活に入ったわけですが、それを「開国しいや!」と無理やりやられた結果が明治維新です。
で、その結果が戦争ね。
でね、そんな奴隷船、廃止されたのは19世紀ですから、ちょー最近の話ですし、その際バカチン教会が「黒人だって人間ですよ」的な声明をようやく出したんですからね。考えてみれば「奴隷」という存在自体が聖書に普通に出ているわけですから、彼らの血の中に「奴隷」があたかも自然なことかのように、いかに色濃く根付いているかわかろうってもんでしょう。
今は奴隷船が行き交うわけじゃなく、安全保障という仕組みの元に、奴隷にされただけ。誰が?わたしらが。
戦後、我々日本人が3代に渡って働いたお金は、みんなホットドックの国に上納されました。まさかね?って思うでしょ?
、、、、ピンと来ますかね?
今になってネットで色々と情報が出てきて、人身のバイバ〜イ!とかお子様たちの●ドレーとか、「まさかそんなこと!」って思ってる人もいるかもですが、歴史認識を改めた方が良さそうです。特別に悪魔崇拝だとかなんだとか、おどろおどろしく考えなくても、そもそも白人優位主義ってこんなもんなんですよっていう歴史的事実が背景にあります。ゲロゲロな「みんな平等」洗脳から目覚めましょう。
要するに、我々と彼らはそもそも違うんです。違うという事実だけを淡々と見つめましょう。
ほっほー!と驚異的にうまくまとまっている動画を見つけたので、20分ちょっと、見てみてください。小麦と米の違いとか、実によく説明されててグーの根も出ない。
じゃ、この違いは何かってさらに掘った場合、避けて通れないのが地政学的な話。
それをさらに掘った場合、出てくる禁忌が「レムリアとアトランティス」だと思っています。しかしながらこの話は今まで書いたことがありません。だって、「区分」の話だからなんとなく嫌だなと思っていたってのもあるし、この辺の話をする向きが、ちょっとなんていうかその、、、、まあアレな感じがして嫌だった。今も嫌なんですけど、でも触れざるを得ないかなって気もしています。この辺のことは足立育郎先生の本でも読んでみてください。わたしは深くはわかりません。
ただ、アトランティスの人たちはレムリアを恐れている。ジャパンがずっと恐れられているのは、そんな背景があるから。
どこまでいっても破壊と奪取でしかない西洋的な発想って、限界があるんですよね。
確かに科学技術が進んで文明は前進したかに見えたけど、決して成熟してはいない。なぜなら循環していないから。彼らは循環を知らなすぎる。そして誰かを不幸にする仕組み。不幸の上に成り立つ仕組み。自分より不幸な存在を見てなぜか安心する仕組み。
今は、その極みっていう現在地にいますよってことなんです。
つまり、大峠です。
峠を越えたら国境(もしくは国家)とお金の仕組みが変わる。
だけどみんなはそれを待ってたわけですよね?新時代ってそういうことでしょ。
戦争準備は着実に進んでいるようです。災害も起きるでしょう。それが人の手によるものか、自然なものかもどうでもいいことです。
しかし我々は何らビビる必要はないです。憎しみを持つ必要もない。どこかの国の指導者を憎むのもお門違い。我々は循環を知ってる以上、怖がることは何もない。
悲しいけれど戦争っていうのは、その後の社会システムを根底から変えるために行われてきました。反対しようが抗おうが、どうしょもない。
でも繰り返しますけど、淡々と。我々は自分を整え、情報を見極め、感情を揺らされないことが大事。ビビったらダメ。恐怖に支配されたらダメです。
考えたらわかるでしょ。恐怖を前にいちいちビビりこむような人間が生き残ったってどうにもならない。
我々が完全に我欲を捨てるとき、とんでもない力を発揮する。「この肉体?別にいいですよ死んでも。どうせ借着なんだから」そんな覚悟ができた人に、実際誰も敵わない。
泰然自若。葉隠的な、武士道的な、大和魂的な、そんな美意識を変える必要はどこにもない。
この後どう展開していくのか、わたしは楽しみでしょうがない。
大丈夫!どうせわたしら、なるようにしかならないんです。お楽しみはこれから!キャハハーってな感じです。