本日も明けましておめでとうございます。
いやーー、この本おもしろかった!ただツラツラと、戦争に負けてから今に至るまでの経緯、つまり「占領軍」だったのが「在日米軍」になって、在日米軍はつまり国連軍でもあって(、、、って。えー?国連軍????そんなの知らされてないけどー)ていうファクトが延々と記されてるだけの本。
「ふーん、なるほどそーゆーことだったの!」ってのがわかるっていうのは、人体の仕組みであろうと、意識の仕組みであろうと、政治の仕組みであろうと、銀行の仕組みであろうと、わたしにとっては垣根なく、純粋に面白い。
知ってる範囲が広がるほど、イメージだけでむやみに恐れることも、崇めることもなくなるもんね。
世の中なんて面白がってナンボ。特に最近はとにかく、この世のすべてがエンタメに見えているから、世界のキナ臭い動きであろうと、♪チャバン・チャバン・チャバン・お花をたいせつに♪(←カダンね、言っとくけど)な政局であろうと面白い。ある意味では、世間の人々が何に反応するのかを見て楽しんでいる感もあり。
それで、明日はこの本をベースに、未来予測についてもお話しさせていただくんだけど、あのねー、なんでも物事、ウラとオモテがあるんだよね。
オモテを一通り知って、ウラを読む。何年後かわからないけど、最後に来るであろうどんでん返しについて、考察してみたいところ。
そうそう、オモテとウラがあるのと同時に、「短期的」と「長期的」なものの見方があるんだよね。
一寸先は闇!に見えても、その後にでっかいゴールが実は設定されていて、そのために「ちょい闇」が必要だから引き起こされてる、みたいなことはあるんだよなー。
簡単に図にしたらこんな感じ。
時間が、過去から未来に流れるのが「順行」」だとすれば、直近予定されてるイベント(例えば戦争とか)は最悪なことに見える。
未来から現在、さらに過去と流れてる「逆行」で考えてみると、でもその先にはでっかいゴールが設定されていて、戦争すらも実はそのゴールのために創出される必要があるのかも知れない、とか。
さらに「俯瞰」で見ると、過去の戦争的なものって、その後の社会スキーム(というかレジームというか)を根本的に変えるために起きてたじゃん、てことまでわかる。
まー、だからこそ「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」って言うじゃん、歴史は知識のコレクションなんかじゃなくて、未来を図るためのツールなんだよね。。。。。
それで、「未来の大ゴール」に関して、ここを支配者層さまによる恐怖の支配計画一択!っていう風にアタマが固定されていると見えないもんもある。その辺(未来)はタイムラインが分かれるっていうよりも、むしろ我々の意識の力かかっているんじゃないかしらねって思う。
それってつまり「悪い未来になりませんように」な〜んていうネガティブ回避のお祈りの力ではない気がしていて、もっと積極的に「腹を括る力」「自分の選択(つまり未来)に責任を持つ力」なんだろうな〜ってわたしは考えてる。
要するに、1億総ハラククリヒメの時代が来たのよ。ハラククリヒメの祈りこそが大切なのよ。
まー、皆様ご存知の通り、ワタクシこの過去3年間というもの、縄文と呼ばれる時代から始めてついにナウ=「こんにちの在日米軍」まで歴史をベロベロ舐めに舐めてやったのよ。
その結果思うのが、日本人てすごい力を持っていて、それは個々が腹を括った時ににのみ発揮される力のような気がしてならないんだよね。
その力を持ってるからこそ、日本人は恐れられて爺英知9に封じ込められ、1億総バカにされてしまったの。その極みが今度のお駐車だと思うわ。
でも日本人て変化に強いんだよ。地震でやられようが台風でやられようが、空襲でやられようが、原爆落とされようが、平然と立て直し、さっさと新生活を始めて恨み辛みには生きないの。(今、書きながら「カッケー!」って思ったわ)
みんながそれに気づいた時、俺らの中にククリヒメが立ち上がるんだわ。
つまり
タカククリヒメ→ハラククリヒメ→ククリヒメの三段活用よ。
それが未来を作る道だと思う。
わたしは、ククリまくる準備はオッケーよ!みんなそれぞれククろうじゃありませんか。
では明日お会いしましょう