敬愛してやまないサルバドール・ダリ様

横須賀にダリ展来ているので早速行ってきた。生誕120周年だって。

全国巡回で、次は4月から広島みたいだよ。

 

こんな風にまとまった点数を観るのはかなり久しぶりで、やっぱり感激した。

キチガイじみたキャラクターを演じた彼の、繊細な繊細な内面がよく知れるような作品群だった。

彼は他のシュルレアリスムの画家陣のなかでも別格というか、まったく違うとわたしは思っていて、脳内にある情報量がケタ違いというか、捉えている「見えない世界」の描写力が、今でも他の追随を許さないと思う。

「ダリみたいな人」はいても、ダリは二人といない、って感じ。

好きだーーーーーーーーーーー。

 

つい数日前に岡本太郎を観たばかりだから、自分の中でそのくっきりした対比も面白かった。

太郎の作品はエネルギッシュで、作品が飾られた場の振動数が爆上がり。観るというより感じる系で、勝手に元気になる。

ダリのはそうではない。観る者をむしろ不安にさせる。

二人とも恐ろしく繊細で複雑な内面を持っているはずだが、太郎はそれをすべて原色の太い線に昇華させたがダリはディテールまで細密だ。

太郎は自分の繊細さを太い線で武装したが、ダリは隠そうとしなかった、という感じなのかなーーーー。

 

ただやっぱり、いずれにせよここまで表現できる人は凡人であるわけがなく、極度の繊細さ、複雑さを持った人であるのが当たり前で、

凡人におもねることなく生き抜いたってことだけはわかる。

 

子供の頃からダリが好きで、子供って「どうして」とかないから、直感的な好き!だったんだろうけど、この好きさ加減はずーっと変わることがない。

オバハンになった今、「どうして」がわかった気がして、

要するに、初めてダリを見たときに「びっくりした」からだと思う。

自分が生きている日常観を爆破するぐらいのびっくり感。どうやっても絶対に考えつかないその表現。そして見れば見るほど精密で絵が上手い。

結局、ダリ以上に自分をびっくりさせてくれた人はいない。

(楳図かずお先生も敬愛してやまないが、彼の場合、ストーリーの中で、つまり連作での描写だから一枚の破壊力とは異なるかなー)

 

わたしはつまり、びっくりしたい。

なんであれ、びっくりさせてくれるものをいつも求めているんだよなーってことが、最近になってわかってきた。

ワクワクよりビックリしたいんだよ。

てか、びっくりすることにワクワクを感じるってことか(笑)

マンネリと予定調和的なものを極端に嫌うのはそーゆーことなのかなー。

グレートリセットも「楽しみ」なのは、本当にびっくりしたいからなんだよな〜。

 

図版はたくさん持ってるから買わなかった。

代わりにソックス買ってやったw 右のはマグリット。

 

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