動物として終わってからが、人間として真の始まりかもね

昨日久しぶりに、その辺の山を歩きながら、ふと気づいたことがあります。

前向きでも後ろ向きでもない、ただ気づいたって感じ。

まあ、そんなことを言うと、最近の自分は「前向き」とか「後ろ向き」とか、ほぼ完全にどーーーーーーーーーでもいいってなってます。

何に対してもあんまり針が振れないというか。「待機中」というか。

 

とりわけ、超直近、この人間の世界(魂の仕組みとかじゃない方)って実際どうなってんの?

いかにして「社会通念」が意図を持って作られ、それによって我々がいかにして扇動され、気づかぬうちにまんまと引っかかってしまったのか、、、、

に関して掘り下げてみたらいろいろと合点がいったというか、かなりの衝撃でもあって呆然としたって感じだけど、逆に「ほんっとに良いも悪いもないよなあ、、、」って心境になっていて、、、、でもあらっ?それって真の二元性からの脱出なんじゃないの?って思った。

そしたらありとあらゆる「作られた概念」的なものに一切興味がなくなっちゃった

↑ こういうこととかね。

例はいっぱいあるんだけど、というより流布されている概念のほぼすべてがそれなんだけど、、、、、例えば金科玉条みたく言われる「分断は良くない」みたいな話も、本当によくないのかしら?(分断をなくそうとしたらそれは全体主義じゃん)

人はそれぞれでっかいものからdivideされて、分割されきったものが個人(individual)じゃん。個人がそれぞれ勝手に思うように、好きなように生きろっていったら分断は必須なわけで、別にそれで良いじゃん。

自分とは違うものを「敵」だと思うこと、そこに憎しみを被せること、敵を殲滅しようとすることがヨクナイだけで、別に自分とは違うものを無理に愛そうとしたり、良いところを探す「努力」なんかしなくていい。嫌だと思うなら嫌ったっていい。そんなのはわたしがピーマン食べないのと大して変わらない話。無理して食べることはない。

、、、、って、わたしはそう思いますよって話。

自分が確かなものとして感知したこと、経験を得て「ほんとうだ」と体得したこと、また見えないもの含めた自然の摂理以外のことは、もはや信じる気になれなくなってしまったよ。

 

 

まあ、そんな話は前置きですけど、

最近ふと思ったんだけど、わたしさー、老眼になって、あんなに眼が良かったのにメガネなしではもう生きられないじゃん。

さらに、歯もインプラントしろって話になっていて(まだしないけど)、まあ今は自前の歯で騙し騙しやってくかってことになってる。

眼が見えなくなって、歯が弱ったら、野生動物としては「終わりの始まり」なわけじゃん。

実際、信長は人生50年と言ったわけだし、もう終わりなんだよね。

 

それって悲しいこと?ネガティヴなこと?

わたし「別にそれでいいんだよな〜」としか思えない。

だけどまあ、なんとなくまだ生きそうじゃない?じゃ、どうするよ?って漠然と考えたりするわけ。

 

それで、冒頭戻って、山を歩いているときに、ふとよぎったんだよね。

「動物として終わってからが、人間としての始まりなんじゃないか」って。

動物と人間の違いっていうことを考えたらそう思った。

以前読んだ何かの本、もう忘れてしまった、誰かそれなりの方の著書(あれ?笠井先生かな?)で「我々は人間だと思い込んでるけど、まだ人間ですらない」みたいな一節があって、霊的成長の話だと記憶しているが、その時そうかも知れないって感じたんだけど、それがふと納得できたんだよね。

眼も見えない代わりに心眼が発達するし、実際若い時ほど食べなくても辛くもなく生きていけるし、何より50年間で積み上がった経験と知力があるんだよな〜。

それで、ここからが本当の成長期に入っていくのかも知れない、、、とか。

だから本当に、自分が疑念の余地なく確かなものとして感知したことを大切にして、今後はそれをさらに拡大していく作業になるのかなーとか、

まあ、漠然とした輪郭だけど、そんな風に思ったよ。

 

眼が見えないことで却って眼が開く、って感じかな。

還暦とは暦が還ると書くわけで、還暦まで数年あるこの期間に、エンジンの積み替えが必要なんだろうし、行き先もこれまでとは違うのかも知れないし。

どうせ死ぬときは目を閉じるのかも知れないけど、眠ったままじゃなくて両眼がしっかり開いた状態でこの世から脱出したいもんね。

今まで教科書的に習ったことで、体験を伴わないことはほとんど無意味。「〜〜〜と言われています」をたくさんコレクションしたところで、、、、ねえ?

それに気づいた今言えるのは、本当に、「あらゆる社会通念から距離を置くこと」ってことだなあ。

しみじみそう思う。

 

 

 

あ、ところで。

比礼と玉の新しいやつリリースしましたよ。そういや、これらのものだって、自分が「体験的に確信を持っているもの」のひとつだな。

こんなものが効くなんて、その辺の人は「信じ」たりはしないはず。信じる必要もないしね。信じようが信じまいがって話。

 

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「比礼」とは呪力を持つ布のことで、古代においては女性が肩にかけたも…

 

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<h1>金運を象徴する巳年にちなんだゴールド</h1>
 

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