完全に目が醒めるまであとちょっとかな
昨晩は、大変な頭脳、「寝起きの考察」さんのオンラインに参加しまして、長年、、、、というより生まれてこのかたずーーーーーーーっとモヤモヤしてた
そして特に今、ここへ来てやっぱどう考えても納得いかない「だからいったい平和って何よ?」問題にカタがついたような気分になってる。
https://nkchannel.base.shop/items/100520997
というよりも、この世界にあふれまくる「ナントカ主義」とか「ナントカ思想」とか「ナントカ運動」だとか、どこの誰がいつ言い出して標準されたのかわからない「常識」だとか、すべて胡散臭いただの洗脳ツールじゃないかと思ってて、子供の時からうんざりしているわけなので、わけのわからないものに絡め取られて自分の自由を失わないように、人の言うことは聞かずに一生懸命生きてまいりました(笑)。
わたしにはこの世のほとんどがバカバカしい。この世界は真に受ける必要のないものが多すぎる。
「常識」を仕立てられ「競争」に仕向けられ、人々は、とりわけ日本人は常に周囲を気にしながら、体制に従い決められたことを守り、受動的に物事を受け入れ、自信を持つことなくいつもビクビクして、そのくせプライドだけは高く、ちょっとのことで傷つき、人を逆恨みし、大したことないことで優越感を感じ、それが打ち砕かれると劣等感に悩む。
そんなことは気にしなくていい。自分の思うところを言ってみ、となっても、「自分らしさ」にこだわるくせに個人の意見はない。
好きなようにやってみ!でもいちいち「いいんですか?」と許可を求める。
なんでもできるとしたらどうしたい?と聞いても小さなことしか出てこない。
自ら進んで奴隷になってるとしか思えない。
目に見えてる世界と見えてない世界があって、両方あるから成り立っているんだけど、
見えてる世界が好きな人は見えない世界のことには関心がない。
見えない世界が好きな人は、見えてる世界を視野に入れたがらない。
そういうことのすべてがわたしには不思議に見える。
この世界、この人々、本当に不思議だと思っていました(います)。
で、「なんでそうなのか?」って思うんです。
こんなにくだらなく、うんざりするようなこの世界はホンモノなのか?誰がこのような世界にしたんだろ?
神がそうしろと言ったのか、エライ人たちがそのようにしたのか。
もし前者なら、そんな神が嫌いだし、後者なら、そんな人が嫌いです。従う必要はない。
常識と言われているものは一旦すべて疑ってみて、自分の自由を阻害するものなら、どんどん外していけばいい。
あとはこのクソみたいな世界という水槽の中で、できるだけ自由に泳ぐしかない。いつか生まれた川に戻るんだし。
考察さんの言葉を引用すると
「優生学」や「進化論」は「エリート主義」「競争社会」を生み出し、未だに我々の世界、社会、生活を「支配」しています。しかしそれらはあまりにも当たり前過ぎて、ほとんど誰も指摘しないし、問題とすらなりません。当たり前すぎる、というのは「時代の空気」となることで、それは「支配」の完成形です。そしてよくよくちゃんと見てみれば、それは「狂気」でしかありません。「狂気」を「当たり前」としてしまうことで、異常で歪な世の中が「平気で」作り出されています。
わたしたちは「気づくこと」ゲーム。
自分探しに飽きたなら、イカサマ探しもまた面白いものです。
「な〜んだ、そんなことだったの〜?」とわかってしまえば、真の脱力。別にもうどうでもいい。
踊らされたくない。
自ら踊るなら、話は別です。♪それより僕と踊りませんか って陽水も言ってる。
よくわかんなかったものの最高峰「平和」についてクリアしたから、自分はようやく、目が醒めてきたかなって感じです。世界が変わるこのタイミングで、あーよかったって思ってます。
もう一つのよくわかんないもの、「ロイヤルな人々」多分それがラスボスでしょうね。
そこに納得行ったら
♪変わらぬものは古代文字(いやこれ名言ですねなかにし礼)
だから、心置きなく見えない世界の探求に戻りたいと思ってます。
そんな心境です。
踊らされるより踊りましょう。火曜日、お待ちしています。
ビデオ【脱力近代史】 #3 財閥・聖公会・GHQ
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