才はあったらあったで、あり過ぎると困るんだろうな、、、という話

突然なんですけど、昨日、友近(ていうか、水谷千重子)のステージ観てきました。

わたしねー、友近ってなんか興味あったんだよ。

あの人ってなんなんだろう?ってずっと気になってて、そしたらひょんなことから友達がチケット取ってくれて、行く行く!となったのですた。

友近さんて、芸人としてスゲー過ぎるんだけど、あの人の中で何かが渾然一体となっている感をすごく感じていて、

「何か」っていうのは、つまり「この世ならざるもの」なんだけど、だからこその「芸能」なんだろうなっていうのを、すごい感じる。

芸能とは本来、芸能の神様みたいなもんの憑依からすべて始まったわけで、

彼女はその代表格なんじゃないかと思って見ているのですた。

(・・・・この説明上手く伝わる?)

で、リアルで聴いた彼女の歌はハンパなく上手い。「歌手」をメイン職業にしている人たちより上手いのではなかろか。

レンジが広くて伸びやかで、ピッチが正確で、声質に透明感がある。全盛期の聖子ちゃんに似た声質みたいな感じ。

しかし、後述するけど、

彼女ほど才に溢れた人っていうのは、それはそれですごく難しいのだろうな、、、ということも同時に感じた。

彼女は独特な「目」をしていて、わたしはいつも彼女の目に目がいってしまう。

なんとも言えない独特の目ではないですか?

で、「この世ならざるもの」って、なんだろうな。

弁天さまかもな〜、、、、、みたいなことを感じたよ。いや、テキトーに言ってるだけですよ?

なんとなく、これを思い出した。

で、

おふざけから始まった「水谷千重子50周年」という設定のシリーズも、

あまりにもお客が入ってしまうから続けている(やめられない)という事情が見てとれた。

だって、有明のなんとかシアターに、8,000人だよ?すごい規模だよ。

彼女の歌をメインに、「ファミリー」的な面々とゲストが出てきてなんかやるんだけど、

なんかもう収拾つかない感じになっていて(わたしにはそう見えた)、

笑う気満々で来ている人たちは笑えるんだけど、正直わたしにはそうではなかったなー。

というのも、友近さんの才能が突出しすぎていて、舞台上のお仲間に対しても、お客に対しても、バランスのためには出力を抑えなければいけない、といったシチュエーションになると、当然彼女の天才性が成り立たなくなってしまうわけで。

まー、あとは「コンプライアンス」のせいで、笑いはすごく難しいものになったんだな〜というのもリアルに感じた。

いずれにしても、コメディアンの立場が日本では低過ぎると思う。

芸能の神は低く扱われているのかなあ。

てなことを感じた夜でした。

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