「この人生で良かった」と心から思えるかどうかは「感情の整合性」による

世界はますますドリフのアレが流れてきそうな気配ですが、

「わたしら5年後生きてんのかね?」という話をライトにできる人と、できない人がいるように思います。

ライトに、ってとこがミソです。そんな話はライトにできなきゃ意味がない。

暗く、落ち込んでしまうような人はそれを考えないほうがいいのかもしれない。

でも本当にそうなんでしょうか?

わたしは、そんな恐怖心から逃げようとしないことを推奨します。楽観主義と逃避は別モンです。逃避に誘導する精神世界の指導者なんてエセだと思ってます。

5年後、もしかしたら生きてないかもしれない。

そう考えたら、むしろもはやこれ以上やらないでいいこと、アホなこだわり、誰の役にも立たない高すぎるプライド、そんなもんは勝手に整理されてくる。

そして、誰のためでもない、自分自身の納得のために、今やることの方にフォーカスが向いてくるはず。

生きることに大した「目的」はないです。ただ、意味があるとしたら、二度と生まれてこないように、クソの輪廻システムから抜けるために、何をして、何をしないか、自分で決めて圧倒的納得の中でこの世界にサヨナラすること。

「生きづらさ」を持っている人は幸いです。この世界なんか違うって、最初から気づいてる人だからです。

こないだ秀逸な発信を見つけて、ああ、日頃わたしが思っていることがまとまってる、と思ったのでメモ的に残しておきます。

成功とは何でしょうか

年収でしょうか、資産額でしょうか、フォロワー数でしょうか。
もし成功が年収なら世界一の年収を得た人が最も満たされているはず。 もし成功が影響力ならフォロワーが1番多い人が最も安心しているはず。

でも現実は違いますよね準資産100億円でも不安は消えない。 会社を上場させても焦りは消えない。 バズっても幸せそうな画面の中だけの演技に対し夜は孤独です。

なぜ でしょう?

成功の定義が他人基準だからです。 僕らの社会行動は人間を効率よく動かすために比較という道具を使っています。
隣より稼げ、同期より出世しろ、他者より成長しろ、他国より強くなれ。

この構造の中では成功は常に相対値 。 つまり永遠に安心できない。誰かが上にいる限りあなたは未完成なんです。

そして仮に特定分野ナンバーワンの勝者だったとしても、 明日には追い抜かれる恐怖で走り続けなくてはなりません。 でも1つだけ誰とも比較できない瞬間があります。

それが死の直前です。 死の前にあなたはこう問われます、 この人生で良かったか。

そこにはフォロワーも株価もありません。 肩書きも称号もありません。

残るのは納得だけです

高度成長期には持ち家 、マイカー、 家族 

金融資本主義では資産額とレバレッジ 

情報社会では影響力と再生回数 

成功の定義は時代ごとに変わってきた。

しかしこれら全てに共通するのは、 外部評価で測定されるということ。

社会構造にとって外部評価は都合がいいんです。なぜならほとんどの人が他人の目を異様に気にするから。

 「承認」は社会を動かす燃料です。 国家は国民に比較させ企業は社員に競わせ、 SNSはユーザーを中毒にさせる。比較は人間を借り立て止まらなくさせる装置です。

でも死の前ではどうでしょう。 隣より勝ったは意味を持つでしょうか? 正直持ちませんよね 。「だから何?」と返されるだけ。

死は絶対値の世界です。 

相対値における究極の勝者たち。

アレキサンダー大王、ユリウス・カエサル、ナポレオン、スティーブ・ジョブズ、、、、

文明的には彼らは圧倒的な成功者だけれど、絶対値として見た場合、彼らの内面はどうだったでしょうか。

重要なのは彼らが偉大かどうかではなく、納得して死ねたかどうかです。

相対値と絶対値、つまり文明的成功と個人的納得はまるで一致しない。

これが社会構造が決して語らない最大の盲点です。

相対値は社会が与えてきた成功モデルの世界。 絶対値は自分の内面における納得性。

例え100万回失敗しようが絶望の淵でのた打ち回ろうがあるいは偉業を成し遂げようが、死ぬ直前に何もかもをYesと受け入れることができるかどうかが全てを決める。

人生は真実平等であり、どれ ほど貧しい人生を送ろうとも、どれほど危機を繰り返した人生だったとしても 、最後の最後でたった1度だけ、ほんの切那の1 秒でいい、 何もかも真の底から受けいれることができるかどうか がその人の人生を決めると思うんです。

死の前で剥がれ落ちるものがあります。 肩書き、称号、名誉、 資産、 ブランド、 フォロワー、 学歴、 資格。 全部消えます。

最後に残るものは何でしょう。 後悔です 。矜持です。 愛した記憶です。 挑戦した記憶です。 つまり感情です。

だから社会が与えてきた相対的な成功ではなく、絶対的な見地から成功を再定義できるはずです。

成功とは感情の整合性だと確信しています 。

つまり死の間際に、「これで良かった」。そう言えるかどうか 、それだけだと思うんですね。

死の間際に「これでよかった」と腹の底から思えるなら、輪廻システムから晴れて離脱です。

「社会が悪い」「親が悪い」と責任を外部化している(怒りを抱いている)状態では、納得感は生まれません。

納得感は「自己責任の受容」からしか生まれないため、どのような環境にあろうとも、その中での自分の生き方を自分自身で引き受ける必要がある。

この割合が高いほど、死の直前に「これで良かった」と人生を肯定できる「感情の整合性」が得られます。

自分を正しく理解するために、ジョーティシュは役立つと思います。

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