谷崎がヒントをくれた人間性の復興。ひとりルネサンス
こんなことをポストしました。
昨日セッションにいらしたお客様が、本棚にあるものに興味を示されたので引っ張り出してみたこちら。
谷崎潤一郎の、随筆なのかなぁ「昨日今日」というぐらいだから、、、と言って朗読してみたら、なんとまあ味わい深いこと。
なんでもない情景のどーってことない言葉での描写なんだけど、それが筆の巧みというものなのか、当時の情景がくっきり脳裏に浮かぶねえ、、、と、ちょっとした没入体験でした。

文筆家でもあるこのお客様はとっても感性豊かな方で、少し朗読した後、たくさんの感想が飛び出しました。
→ ここちょっと我田引水な話を差し込ませてw

いや、「その辺の本を読む」は偶然に起きたイベントでしたが、感じたことのアウトプットという点でも素晴らしい時間になったと思います。
こういう偶発性も、わたしのセッションでは、他では味わえない「特異点」になるのかなって気づかせてもらいました。
ある人は我が菜園から芋を掘り、ある人は井戸水を汲んで沸かしてお茶を淹れる。そんなことでふともたらされる気付きもあります。セレンディピティ。田舎の家ならではの「特典」かも。
でね、谷崎の随筆。
どうせ鶯谷方面に行くなら、その前に谷中の知人宅に寄ってお線香上げよう。タクシーすぐ捕まるかわからないから早めに出よう。な〜んて算段だったが行きも帰りもタクシーすぐ捕まっちゃって鶯谷には時間より早く着いちゃった (超訳 by俺)
みたいなノリの、どーってことない、ほんっとどうでもいい話ではある。
しかしなんだろう、この豊かな感じは!
それはたぶん、「逆に」ほんっっとどうでもいいようなことをつぶさに記述しているからであって、それによって読み手は同じ時代の、同じ現場に居合わせた感覚を得る。
それから、「昔は、いろんな人たちがいたんだね」・・・・ということをお客様は言った。
出てくる人物の身なりや気風など、料亭の女将は女将の風情、歌舞伎役者は役者の風情、着るものも、あり方も、みんな違っていて特徴がある。
きっと所作も何もかもが違っただろう。町には、いろーんな職業、いろーんな立場の人たちがいたんだろう。
今は無くなっちゃったじゃん!
・・・・そうだよね、みんなユニクロ着て、同じモノ持って、同じ喋り方で、同じような家に住んで。
で、なんで今こうなの?
なんで今って何もかもが薄くてつまらないの?
・・・・と考えたら
そらやっぱSNSが悪い!
って結論が、待ってましたとばかりに飛び出した。
暴論ですかね?
暴論上等!
そうだよ。
われわれから失われたもの、それは「情感」。
だってねー「今日は誰とどこへ行った。何食べた。何買った。こんな仕事してます」とかの
はっきり言うよ、
「お前、それ日報かよ!」
しかも誰に対して「報告」上げてんだよ、みたいなポストの蔓延。しかしそれもんのポストは、その人について何も語ってない。実は。
切り取られて盛りに盛られた、誰を喜ばせたいのかわからない自撮り。
長い文章に耐えられないから、記事も「要約」だけ読んでわかった気に。
って言っても、長い文章だって中身がないんだから仕方がない、的なもんばっか。
正直言って、
我々クラスはうんざりしてます。
少なくとも、わたしは辟易してるよ!
いいんですよ?別に無理に共感しなくても。ただ、わたしはそう思ってますってだけのことですから。
そしてね、
谷崎のこの随筆。これ書かれたのは戦時中でしょ。
しかも言論統制甚だしいさなかでしょ。
でも、書かれたものは飄々として、街のあれこれ、小さなことを面白がって見ている。
これよね、これ!
面白がりスキル。
超絶やな状況に置かれた時、やなことばっかり見つめるのか、
やなことを面白がって見れるのか。
まーわたしは後者ですね。大体何を見ても「おもしれーな」と思っている。
人間の悪徳ですらおもしろい。
つーわけで。
90年前に人間が持っていた情感。
わたしはこれを取り戻す!ひとりルネサンスの開始だよ!
そう思ったら、この猥雑に物が散乱するデスクの上ですら、情感に満ち満ちたものに見えてきた(笑)
てかねー、今、なんらか転機とか壁を感じておられる皆様、
たぶんルネサンスだよ、必要なのは。
人間性の復興だよ。
そう思ったら、北鎌倉まで会いにきてください。
メール、メッセンジャー、LINE、なんらかの方法でご連絡をお待ちしてます。


