我々はただ支配的な周波数に巻き込まれているだけ
このサイトの調子が悪いので、もしかしたらそのうち閉鎖するかもしれない。
この投稿は、ちゃんと投稿し反映されるかどうかのテストで書くから、短めに。それなりの熱量投入してパーになった時ほどヤンなるもんはないからね。
さてさて掲題の件なんだけど、
こないだ偶然おすすめに表示された「俺らの時代のディスコサウンド」的なYouTubeを紹介したら
まんまと俺ら世代のオバハンホイホイとなって反応してくれたw
いきなり元気出た!とか。
そんでまた、動画についてる世の人々のコメントが泣かせるんだよね。
それで色々と考察してしまったんだけど、
うん、当たり前だよね元気出るのは。これ単純なノスタルジー、「あの頃は良かった思考」と思いきや、そうではないんだよ。
危うく、思考停止に陥るところだったよ。
これは単純な話で、これらの曲をいまだに覚えているのは、「明るいメロディ、思わず身体が動くわかりやすいビート、能天気な歌詞」が先にあるってことだよ。
これらの曲は、当時のディスコに縁がなかった人たちにとっても知られている。町中で、車の中で、どっかのラジオから、有線放送から、どこにいてもヘヴィロテで流れてきていたから知らない人いない。
で、次に来るのが「あの頃の世相は今より良かった」という記憶だよ。
わかるかな。
「明るいメロディ、思わず身体が動くわかりやすいビート、能天気な歌詞」が周波数を支配していた時代なんだよ。
考えてもみなよ。あの頃だって、我々ヤなことムカつくこと、うまくいかないことなんか死ぬほどあった。社会への問題意識だって、むしろもっとマトモな観点で持っていたさ。
例えば、日本は金持ち国家になったからロックフェラーセンターを三菱が買ったさ。その一方で、隣のでかい国土の国では戦車が市民を轢き殺すのを見たさ。日本人は欧米白人には親切だけど、アジアの人間には強く出ていたと思うよ。
だけど、「明るいメロディ、思わず身体が動くわかりやすいビート、能天気な歌詞」の周波数が我々を包んでいたんだよ。
で、この周波数の傾向は、このあとユーロビートのリミックス一辺倒でチープ化が激しくなり、国内では小室、ミスチル、ドリカムの台頭で俺は一切受け入れられず、さっさと縁を切ってワールドミュージックと呼ばれたフォークロア、そしてブラジル音楽へと進んだんだよ。
だからわたしは「支配的な周波数」からまったく無縁になったわけ。
「今」を支配している嫌〜な空気感。その後流行った曲とか聴きたいとも思わないからよくわかってないけど、要するに支配的な周波数だと思うよ。
こんな現実が来る前に、嘘っぽいポジティヴ思考、イミフで子供っぽい思考、毒っぽさが抜かれた中途半端な歌詞ばっか、コンピュータで作られた複雑だけど特に美しくはないコード進行。
今は今で、この世相に合った支配的な周波数があると思う。
それに巻き取られちゃってるってだけなんだよ。
このYouTube見て元気出るなら、結局そういうことなんじゃないの?それなら元気出ない周波数からは遠ざかればいい。
・・・・や、もっと深いことを書きたいけど、テスト投稿だからこれだけにしとくわ。
自分をアゲるのは自分だけなんだよ。周波数に流されてるのも自分なんだよ。


