【保存版】Madonnaとカバラ2 〜「被害者」でいないために

続き行くよ〜

我々はめちゃくちゃカオスな世界、気を散らすノイズだらけの世界にいるじゃん。つまり、ソーシャルメディアとか、道歩くのにも音楽聴きながらだし、もう常に視覚的な刺激にまみれてるじゃん。平穏もなければ静寂もなく。
静かにして心の中を観察して、わたしはどうしてここにいるんだろう、何をしてるんだろう、とか、この選択をしてる自分の真の意図って?とか、自分と向き合うことを居心地悪く感じちゃうんだよ。

今、わたしはいろんな決断をしてる、仕事のことも、子供の育て方でも、本当になんでもね。だから自分自身に問いかけないといけないんですよね。もしスピリチュアルな生活(生き方)を持っていないと、立ち止まって何かを問うことは絶対にない。ただただ人生を突き進むだけ。そして、起こる出来事のすべてを「ただの偶然」としてしか見られない。わたしは、偶然なんてひとつもないと思ってる。我々に起きるすべてのことは、何らか教訓を教えるために、起こるべくして起こっていると考えてるの。

でも問題は、「それに気づくほど高い意識か」「ちゃんと目覚めているか」「知りたいとちゃんと思っているか」だと思う。つまり、「なぜ自分にこれが起きたのか」「自分の教訓は何なのか」を、ちゃんと見つけようとするかどうか。

わたしは、人生で起こることを全部「ただの偶然」として過ごしたくはない。でも同時に、「被害者」として生きていくのも嫌なんだわ。

わたしチャレンジングな人生を過ごしてきたじゃん、それって罪悪感の罠に陥りやすいし、もしくは被害者意識も持ちやすい。どうしてこんなことが他の人じゃなくて自分にだけ起きるのよ。あの人にはあるものが、なんで自分にはないんだろうとか。「人と比べることは、喜びを奪う(killer of joy)」って言うけど、まさにそれだよね。

そんなゲームから出なくてはいけないの。スピリチュアルな生活観が必要なの。ただただ、ゲームから出るしかないよ。

ー その話を聞いて、すごく素敵な、『サードスペース理論』ってのを思い出したんだけど、聞いたことある?
50年ぐらい前の人間には、3つの場所があったんだ。仕事、家庭、そして寺院とか教会とかだね。そこでは仕事と家庭の他に、自分を見つめる場所だったんだ。そういう自省する場所を失って、仕事と家だけになって、さらにパンデミックで仕事も失って、たった一つしか場所がなくなっちゃったんだ。あなたが言うように、自分を客観視することがなくなっちゃったんだ。

それってわたしにしたら牢獄みたいなものよ。
スピリチュアルな生活観、スピリチュアルな実践が排除されて、次は職場がなくなって家にいるだけになる。さらに家から離れるとスマホを見てることになる。スマホは、家にいても家から出てしまうようなものでしょ。

じゃ、あなたはどこにいるわけ?

ー すごくいいポイントだと思う。結局どこにいるのかっていうと、どこにもいないんだよね。我々は仮想世界に生きてる。物質世界にすらいなくて、ただの仮想空間に。

そう、仮想世界が悪いってわけじゃない。でも意識がなければ、生きてる意味がほとんどなくなっちゃうよ。

ー これって面白いなって思う。みんなわかると思うけど、我々は時々、内面的な作業をするために、物理的な空間が必要なんだよね。何か儀式みたいな行動が自然と起きるような場所が必要なんだという

何か儀式的な行動が起きるような場所やきっかけが必要なんだろうね。


あんまりたくさん詰め込むより、このぐらいのペースでじっくり読んで考えていくほうがいいと思うので、今回はここまで!

っても、ここまで8分!(笑)

わたしがこの世界を「びびらせゲーム」と呼んでるのと同様に、マドンナ先輩も「ゲーム」と称しているんだね。

「被害者意識」で人生を過ごしたくない。だったら強くなるしかない。

強くなるってどういうこと?ゲームの仕組みを知ること、そこから抜けること。だとわたしは思ってます。

自分自身について誤ったイメージを持ち続けるのもやめましょう。「自分」なんてどこにもいないです。自我(過去の経験)が都合よく生み出したアバターでしかないです。

ではまたね〜!

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