美輪明宏さま。境界を護った方
美輪さま。
この方はずっと、境界、つまり間(あわい)のところに存在しておられ、大ボスとして守護役に就かれていらした方。
この世でもあの世でもない、その境のところで、男でも女でもなく、そのどちらでもありながら、泉のような慈愛と剣のような鋭さで、世の中と、民衆を見守っていらした。
長崎という決定的な土地の、女郎屋の倅。聖と俗と、高貴さと猥雑さと。侮辱と礼賛と。
あの迫力は、血を吐くような苦しみと煌びやかなステージの両極が身についてこそ滲み出るものだった。
自由を希求し、礼節も求める。
薄っぺらいものの背後にある人の虚栄心を見抜き、困難に立ち向かう人には優しい眼差しを向ける。
そしてまた、「戦後」とは、戦争と戦争の「間のところ」だったわけで、
敗戦して、この国は作り変えられたわけだけれど、今また姿を変えようとしているこの時期に、お役目を終えたのでしょう。
舞台は何度か拝見したことがある。
特に、2016年だったか、わたしに聖母マリアから呼び出しがかかってファティマやローマを回って帰国した直後で
何も知らずに観た『毛皮のマリー』が、要するに聖母マリアだったことに衝撃を受けたことを、いま思い出した。
その日わたしは派手に蝶々がプリントされた服を着ていて、舞台には蝶々が舞い飛んでいて、衝撃で、しばらく動けなかったなあ。
個人的に、すべてがマリア様の方に寄せていかれるような、マリアグリッド誕生までの前兆のような、あの頃そんな時期だった。


今のようにスピリチュアルなんて言葉が大手を振っていなかった昭和の時代に、
自分は天草四郎の生まれ変わりだと言い、この世とあの世の境の話を公言なさっていたことは、多分同じような特性を持つ人に何がしか勇気を与えたのではないかと思う。
心の清い人でありなさいと美輪さまいつも言っていた。
本当にありがとうございました。


