慈しみの前にはみな無力

家族のことで人知れず真剣に悩んでいる方は多いと思うけれど、その中でも、親が(または子供が)人格をジャックされている、、、という悩みを持つ人はどのぐらいいるんだろうか。

それが親の「性格」なのか、あるいはなにがしか、得体の知れないものの影響下にあっておかしくなっている、と認識する人はどのぐらいだろう?

「家」とは閉鎖社会。だから、ふつう子供はその環境がとりわけおかしいのか、よその家でも、つまり親というもんはおしなべて皆同様に「こう」なのかわからない状態で「養育」される。

そして保育園なり幼稚園なり行って「社会」と接するわけだが、自分ちの親がヨソんちの親とは違う、と確信するまでに人はどれぐらいの時間を要するものなんだろうか。

また、仮に気づいたとして、それが「個性」や「誤差」の範疇なのか、あるいはそれを大きく逸脱したものなのか、確信に到るまではどのくらい?

その逸脱ぶりが、自分にどれだけの影響を与えたか、振り返るまでにどのくらい?

また、振り返ったときに、胸の痛みや屈辱感(パッシヴな状態)、あるいは怒りや反発(アクティヴな状態)といった、立ち上がってくる感情を認識するのはいつ?

そして、感情に巻き込まれず振り返ることができるようになる人はどのくらいいるのだろう

この、最後のラインまで来たら、残るものは慈愛の気持ちしかない。慈しむ気持ち。

それは勝手に湧いて出てくる。

だからもし「慈愛を心がけましょう」なんて言う人がいたら信用してはいけない。大嘘つきだから。

慈しみとは、意識して示すものではない。勝手に出てくるものなんだから。

そして、その慈しみの心は、何者にも汚されることは決してない。

「慈しんであげたのに裏切られた」なんてことは起こり得ない。

なぜなら慈しみは無尽蔵だから。汲めど枯れない泉のようなもの。そして「裏切り」「傷つき」「憎悪」みたいなレベル感の位置には決して属していない。

だから裏切りや憎悪は慈しみに対して勝負にならない。リトルリーグと大谷翔平ぐらい違う。

ちんけな憎悪や過去の傷など、慈しみの前には無力に過ぎない。

・・・・・別なことを書こうとしていたのだが、頭にあったのは上記のことなので、構わず書いた。

この世界には、魂のない人間が結構な数いるのだけれど、

魂を持つ人間であれば、そこには本来慈愛の壺みたいなものが実装されていて、その壺には、天の慈愛の泉みたいなところから常に満タンになるよう設計されている。

要は、そこに蓋があるわけだが、硬い蓋なのか、緩めの蓋なのか、何れにしても蓋をあけるのは自分自身で、人はその蓋を外したりはできないんだってこと。

また、一度蓋が開いてしまえば、二度と閉まることはないシャンパンのコルクのようなもの。

今日、また小さな奇跡の報告をもらった。

現状を変えたい、どうにかしたい、という、切羽詰まった真剣な意志を持つ人に作用する聖母マリアの特別な力があるんだと思う。

その方の現状は、かつての自分の身に起きた困難に似ていた。だから解決したい気持ちはよくわかる。

その気持ちが本物であれば、必ず何かが動くんだと思う。わたしに、それが起きたように。

この世界に憎しみや悲しみを生み出しては喜んでいる蛇(に象徴されるもの)なんか踏んづけている聖母マリアは、憎しみが慈しみには敵わないことを表している。

慈しみは「目指す」ものでもないから、今、自分がその域にないとしても、憂慮すべきことでもない。機が熟せば勝手に出てくる。

また、ないものをあるかのように見せることも意味がないから、今は「今ある状態を認識する」。

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