この世界なんか所詮は愛に過ぎない
土曜日にDNの実家に行った。心理的にも、物理的にも、練馬はめちゃ遠い。
実は昨年からお母さんの具合が芳しくない、年末年始恒例で出かけている温泉に行こうとしたら、まったく動けなくなって中止した。何やらわけのわからないことを言うから認知きたかも。年始にはそれがどうやらパーキンソンであるらしいことが判明した。
もろもろままならないので病院に行き、投薬を勧めるお父さんに対して、彼女は頑なにそれを拒否。薬は飲みたくない、という母と薬の効能を説き続ける父。
と、いうことを聞いていた。
だったらこれから月イチぐらいで行ってあげなよ。弟(近くに住んでる)の負担ばっかデカくてかわいそうじゃん!
そうだね、そうするよ
とは言ったものの、年始以降DNが練馬に行った事実はない。
行けばお母さん喜ぶんだから、とわかってるくせに、老いていく母を見るのが怖い男の子心理(弱っちい)なのか一人では行かず、一緒に行って欲しいと言う。男しかいないから話が思うように進まないんだ、と。
まーそうかもね。しかもDN一人行ったところで役に立たないんだから、その代わり保存がきくとか、温めりゃすぐ食べれるとかの物資送れと指示しただけで、わたしはほっといた。
何度か書いているかもだけど、練馬の家は(わたしからしたら)相当変わった家族に見えていて、これまでに6回しか会ったことない。うち一回はわたしの父の葬儀(笑)、一回は2年前のDNの心臓手術の際。
悪意あるとか、いやな人たちってわけではないけど、要するに慣習というか文化がわたしの育った家のそれとはまったく違うから最初はマジでびっくりした。
我が親も相当変わってはいるが、彼らのバーイはDNにも何かとプレゼントしたり、一緒に食事に出かけたり歌舞伎行ったり、家族として一緒に楽しもうという姿勢で交流を図るタイプだったが、練馬の家から何かにお呼ばれしたことはなく、電話も来ない。盆暮れにお母さんからなんか届くことはあっても、あくまで「息子用」としてであって、それ以上のもんでもない。実に淡白なもんだ。
最初は何事かと思っていたわけだが、や、待てよ、これはこれでむしろ嫁姑問題とかもゼロだし、実はわたしにとって非常にありがたいことなんじゃなかろうかと気づいてからは気にならなくなった。
つまり老いた後のお世話とかなんやかやにわたしは関与しない、する義理もねーしぐらいに考えて、大変気が楽というか、カウントしなくて良い事案になった。
DNと一緒に暮らし始めて本当に困ったのは、彼が家のことを一切、本当に一切やらない人間なので、当時フルフルで働いていたわたしの負担は莫大だった。
お母さんに少し諌めてもらいたくてそのことを話すと返ってきたのは、ニコリともない「あなただって好きで働いてるんでしょ?」だった。
マジか!!!!!
これはかなりの衝撃だったし、あ、この人には何かを話しても無駄なんだ。今後仲良くなれる気もしない。
でも同時に「好きで働いてるんでしょ?」の言葉はかなり長い間脳裏にこびりついて、「好きで働いてるのかどうか」はわたしの中で消えない課題になったわけで、後から考えたらものすごい良い言葉をもらったと綺麗事じゃなく思っている。実際、好きでやってること以外、人間はやらないほうがいいに決まってる。
またこの時に「結婚したからといって夫婦になるわけじゃないのよ。時間をかけて夫婦になっていくのよ」とも言われたわけだが、前フリなくその言葉だけが出てくるタイプなので、相当面食らった。が、これも後から考えてすごい含蓄だなとしみじみした。
従って、変な人だなと思うけれど、つかみどころがわかってきたような気がした後は、「ただそういう人なんだ」と受け入れるだけで、彼女に対するネガティブな思いは一切なくなった。
まーそんなわけで。
お家に行ったら上品だったお母さんはいきなり「おばあさん」になっていたけれど、ヒョコヒョコ動いている。お父さんによるとこの数日動けるようになった。ようやく薬を少し飲むようになったからそれが効いているようだと。
しかし「薬はいやよ」と彼女は言い、「検査もいやだ」と続ける。
まあ、いやですよね。わたしも薬はやだし、病院も行かないです。お母さんの気持ちわかる。イヤなもんはイヤですよ。
でもね、痛い、辛い、苦しいを我慢し続けるのもキツイですよね。まあもうこれ以上無理と思ったら、その時考えればいいですよ。ところでどうして検査もイヤなの?
「だって検査したって大したことがわかるわけじゃない。脳のCTなんて、変なもん浴びるのだってイヤだ」
まあそうですよね。でも今の時点で一度とっておけば、今後なんかあった時にどれだけ変化したとか、わかるからいいんじゃないですか?などと同調しつつ諭しつつしていたわけ。
「この3年ぐらい辛かった」
何が辛かったんですか?
「家事をできないし、ご飯もすぐに用意できないし、、、」
(や、でもお母さん、前はご飯を作ってあげたいという気持ちが、お父さんに対して「ない」って言いきったじゃん。それも驚いたんだが、と思いつつ)、いやいやそういう状況ならご飯できなくたって仕方ないでしょう。お父さんだって別に怒ったりしないでしょ?ねえ、お父さん、そこはもういいですよねえ?
「ああ、いいんですよ。買ってくればいいし、お弁当だっていいんです」
ですよね?お母さんはそんなこともう気にしないでいいんですよ、今まで十分やったんでしょ?もういいじゃないですか。
・・・・みたいな話をした後、みんなで食事に行った。
道中お母さんは終始ネガティヴだったが、よく話した。
「このままボケてしまったらどうしよう」
うーーん、でもね、ボケっていうのは死への恐怖を緩和するために与えられるギフトだって言いますよ?
「前は思わなかったけれど、死ぬのも怖いの」
なにが怖い?
「お葬式とか。ちゃんとやれるのかって」
え!そこ!!!!!!
「焼かれるのも怖いわ。あなたお父さんの時、火葬場に行かなかったでしょう?覚えてる。いやよね、すごくわかったわ」
あー。わたしちょっと火葬場は耐えられないので行かないんです。
「いやよね、焼かれてしまうなんて」
や、お母さん、でも、自分が死んじゃったら、もう死んじゃってるんだからいいじゃないですか。お母さんの本体は抜けて、上から眺めてるんですよ。
「本当にそうかしら?残ってるかもしれないじゃない?怖いわ」
・・・・・・と聞いて、なんかこの人が急に可愛らしく思えてきた。
そうだこの人は素直な人なんだ。正直なんだ。人にどう思われるとかは気にしない人なんだ。
わたしはそれをわかっていなかっただけだったんだ!と気づいた。
食が細くなって、ほとんど食べないと言うけれど、店では気分が良くなったのか、「甘いものが食べたい」と言ってスイーツ類をよく食べた。普段は血糖値が上がるからとお父さんに言われて控えているらしい。
食べたいなら好きなだけ食べればいい。そして気分良くなった方がいい。
だからわたしもさんざん勧めた。「血糖値が、、、、」と諌めるお父さんを無視して(笑)、いいじゃないですか、大丈夫ですよ、と弟と一緒に勧めまくった。
まだ入りますか?と言ったら「もうやめとく」。遠慮してない?と聞いたら「してる」と言った。
可愛い、と思った。そうだこの人は本当はかわいい人なんだ。
あのね、お父さんにはお父さんの正義がある。心配な気持ちから勧めている。お母さんは自分のことがはっきりしていて、いやなものは受け入れたくない。どっちも正しくて、どっちもそれでいいんだと思います。
そこでハッとひらめいた!
お父さん、パーキンソンって結局どういう病気ですか?
お父さんは医学部を出たあと製薬会社に勤務していたプロだ。
「つまり脳内のドーパミン欠乏でね、、、、」
ムクナ豆ってのがあって、ドーパミンを補給するみたいでパーキンソンに良いらしい。友達に紹介したらよく効いてるって言ってます。飲んでみたら?
「成分なんですか?」
Lドーパ。
「それなら今飲んでる薬と同じだな。天然なら、そっちの方がいいね!」
となって弟が速攻でamazon発注。お母さんも「それならいいわね」となって全員が安心した。
では帰るね、となったら「駅まで送る」と言い出して、歩けないんだから無理しないで!と言っても「その角まで送る」と弟に支えられながら歩いた。
「香織さん、時々電話してもいいかしら。人生相談に乗って欲しいわ」
そんなの、もちろんいつでも電話してください。寂しくなったら、いつでも!わたしは何時でも起きてるから気にせず!
そして角のところで、いつまでも手を振っている姿をみたら泣きたくなった。こちらの姿が見えなくなるまで、彼女はそこで手を振っていた。
自分には経験がないけれど、ドラマに出てくるような「田舎のお母さんがいつまでも手を振っている」の光景ってこれなんだ。
泣きそうになりながら、わたしも何度も振り返って手を振った。
今回の訪問で、以前から実は気になっていた家系的な問題について、弟と話すことができた。弟は一発で理解してくれて、早速取り組もうということにもなった。
積み残し課題は次々に解決されていく。
そして思った。
この世界なんか、しょせん愛に過ぎないじゃん、て。

