俺の中のハラタツノリ
前回の続き。
ハラタツ。アタマ冷やすためにお風呂入ってきたんだよ。
ところが、冷えるどころか、怒るってのもいいねーーー!いいもんじゃん!生きてる感じがするよ!って気付いたよ。
なんかこのところとみに喜怒哀楽のなかの「怒哀」率が低くなっちゃって、ジーンときて泣いちゃうみたいなことのみ多くてね。それじゃ老後っていうより、もう死期が近い人みたいな感じじゃん。
だからこんだけ腹を立てている自分に「よっ!久しぶりっ」てな具合なの。おお、あんた元気だったんか!
だから今は、この「打撃不振な俺の中のハラタツノリ」に思いっきりバットを振らせてみようとも思ったよ。(・・・・・てなことを書いてるうちに、ハラタツノリは引っ込んじゃいそうで怖い)
というのも、怒りってその人の骨格を表すものだからだよ。
その人は、何を許せないのか。つまり何を受け入れないのか。それが「魂の骨格」ってもんで、「怒りはいけない」「怒りを手放す」と軽く言うなんて浅いんだよ。
← ということはコーチングメソッドでもあって、実は本日そのようなセッションを行ったばかり。
そんなタイミングで俺のハラタツノリがバットを持って現れた!それならこの機に便乗してやる!
どうしてこんなに怒ってるのかわからないけど、今書いたように、わたしは「浅い」ってことに対して嫌悪の気持ちを持つ。
浅いことをしたり顔で言う人間が嫌いだ。場合によってはそこに嘲笑すら加わる。絶対に信用しない。
その結果、もしも世の中の誰も信用できないってことになっても、別に構わない。最終的に信用できるのは自分だけ。
それはね、その原点はね、
やっぱりばなな氏の言うここだと思うんだよ。
そして必ずこう言う人が出てくる。「そんなの甘い、そういう時代に育ったんだから体罰はあたりまえだ、育ちがいいくせに、恵まれていたくせに、金持ちのくせに、愛されて育ったお嬢さまのくせに」
https://note.com/d_f/n/nc4a6a48a6fd8
彼女の文章の中で、ここが一番響いたかもしれない。
てか、そもそも怒りの導火線はここだったんだろうと、今はっきり認識したよ。
このね、
こちらにとってはそれが事実で、本当に困っているんだ、辛いんだ、という話をした時に返ってくる、大人たち(とは限らない)の「お言葉」。
「あなたは恵まれすぎるからそんなことが大きなことに感じちゃうのね」とか言われた。
「あんまり恵まれてるからこんなにわがままに育ったのね」も言われた。
「何が不満なの?立派なおうちに育って、欲しいものは買ってもらえて、なに不自由なく暮らして。おじいちゃまはあなたのことを目の中に入れても痛くないっていつも言ってるものね」とか。
いやいやいやいや、待って待って、うちに1ヶ月暮らしてごらんなさいよ、その目で見てみなさいよって話なんだけど。
そして、なにを想像しているのか!うちは大した家なんかじゃないんだってば!!!!!!
わたしにとって、これは「世の中なんてバカばっか」と思う子供時代の原点になったよ。
人は物事の実相は知らずに「印象」だけでなんか言う。それも、したり顔で!
これがどんだけ、告白者を窮地に立たせるか、どんだけ絶望のどん底に蹴飛ばすか、お前らわかってんのか!っていう思い。
この手合いの人間は、事実確認なんかしないんだよ。知りたくもないんだよ。事実を受け入れることができないから。自分の想像を超えたことを受け入れることができないから。
浅瀬でチャプチャプやってる人間なんだよ。人が溺れそうになってんのに。
まーでもわたしは溺れずに済んだ。
「目の中に入れても痛くない」ほど可愛がってくれた祖父の存在はでかかった。
祖父が他界するのを待って、わたしは家を出た。そこでは家の名前(だいたい、そもそも、大した家なんかではない!)なんか関係ない、母の「常識」を守る必要がないイタリアに行った。
「日本の常識」すらないところで一人になって、わたしはやっと自分を取り戻した。
だからこうして、今こんなことをやってるわけだ。
だけど、下手したら、わたしだってあの「姉」みたくなってたかもしれなかったんだ!ってことをばなな氏によって考えさせられた。
そう考えたら「姉」ですら他人事ではない。たまたまわたしは「姉」ではなかったというだけじゃないのか。誰だってそうじゃないのか?そう、あなただって!
わたしは繊細な子供だった(これを自分で言う人間のことも大嫌い)けど、同時に気が強かった。それから疑問符をたくさん持つ子供だった。
だから親の理不尽さに「屈しない」というよりは「なんで?」を問い続ける子供だった。
なんで?に納得いかなければ、黙って従うってことができない子供だった。だからわたしは戦った。
そういえば「かおりちゃんは繊細すぎるのよね〜」もよく言われた。大人たちから出るそれは、まるで「悪いこと」のように感じた。欠点かのように響いた。
自分を繊細だという人間が嫌いなのも、ここに起因してるのかも知れないなと、今書きながら閃いた。
「無駄な繊細さ」なんて、頭使えばコントロールできるってわたしが思っているからかも知れない。
それがこの前書いたように、ばなな氏とわたしのアクションが一致していた件だ。
幼い頃、あまりにも情緒過多で、庭の花が枯れたしまっただけで涙を流すような感性の細やかさを持った子供だったが、あるときその繊細さが自分を傷つけていると感じて、すべてのことを論理的に捉えるように訓練した。結果、自分の中から情緒が消えた。そんな時期があった
といったような(曖昧だけど、エッセンスのみ)ことが書かれており、
「やだ、これはわたしじゃん。わたしも同じプロセスを通った」
美徳としての繊細さと、論理的思考による問題解決は両立するとわたしは思っているし、
自分にできたんだから、みんなもできるよって思っている。
浅い言葉で人は救われるわけじゃないって考えてるし、傷ついた人を「よしよし、いい子いい子」ってすることも大事だけれど、
できるよ!絶対できるよ!本当に抜け出したいならできんるだから諦めないで!って言い続けるタイプの人間だ。
わたしが提供していることは、慰めより「解決」って考えているのは、自分のライフフォース(生命力)を上げる以外に、快適さは得られないって考えているからなんだ。
そう、結局ライフフォースなんだよ!!!!!!!
で、今回の某氏のポストにイラッときたのは、
作家が「助けてくれ!」の表現としてあのような形を採ったことに対して
「もっと正直に助けてくれだけ言えばいいのに」
だなんて、
作家だって必死だからあの形を採ったんだよってことが理解できねーのか!っていう怒りかも知れないし、
必死で訴えていることに対してゴチャゴチャ言うことが、「実相を受け止めずにしたり顔でなんか言うバカ」っていうわたしの子供時代の強烈な不快さとリンクするからかも知れない、
、、、、、、かも知れませんね〜
ってことがわかったよ。
某氏にしたら、とんだイチャモンかもね。でもおかげで自分の骨格を書けたよ。
やばい。
ハラタツノリがどっか行きそう。しばらくここにいて欲しい。
もっと言いたいことあるよ。あるんだよ。
頑張ってハラタツノリをここに繋ぎ止めておいて、もうちょっと言いたいことを書いてみようと思う。
てか、ピンチヒッター的に呼び出せたらいいんだけどね、ハラタツノリ。目を離すとどっか行っちゃうんだよ。

