昭和世代が令和に残す価値とは
ある方の出生情報(ジョーティシュ)を紐解いている際に、この方の使命は「知恵を後世に伝える」と出ていた。
しかし注意が必要で、
「自分の体験だけを資産としなさい」
と。
これなかなか「深い教え」だと思ったので、読み解きながら噛み締めちゃったよ。
どういうことかかいつまんでいうと、
頭脳優秀で探求型の人は、知識の収集が苦にならないから、際限なく探ろうとしてしまう。
だけど「知識を教える」なら、学校の先生と同じで教科書読んでるのと変わらない。
本とか、動画とか、誰かに聞いたり教わったりしたことじゃなくて、その人自身が長い人生をかけてしてきた「体験」とそこから得たものこそが
本物の知恵
であって、
それが後世に残すべき「遺産」であり「資産」となります、ってこと。
「誰々がこう言ってる」とかをそのまま伝えるのは、学校の先生に任せて、あなたの貴重な経験は別にありますよね、そっちの方が大事ですよ、という話。
深いよね。
こないだ書いたこれと似ている文脈であります。
つくづくそうだと思う理由は明快で、知識だけなら、今やAIに聞けばなんでも出てくる。
もちろん、AIも頭のいい人の使い方と頭のわるい人の使い方は違っていて、
前者は納得するまで問いを立てて答えの深掘りを続けられるけど、後者は最初に出てきた答えだけで満足する、
賢い人はより賢くなるけど、バカはさらにバカになる、という落とし穴はあるにせよ。
いずれにしても、汎用化された答えならすぐにでも手に入るようになってしまったこの時代、
何が価値を持つかといえば、生身の人間が人生経験を通して得た学び。
その人の口から語られるからこそ、人に届く。それが昭和世代が令和に残していくべき遺産。
令和は「肉体を持って体験しないでアタマだけで理解した気になる」時代だもの。当然、物足りなさを感じる人たちが出てくる。
これに関してこないだ農作業していて気づきがあった。
野菜ひとつ育てるのに、何をどうするんだっけ?に対して、今はあらゆることがYouTube上に出ている。
何人ものプロ農家さんや家庭菜園のベテランが、それぞれ持論を展開する。あれを必ずやれ、それをやっては失敗する。
例えば玉ねぎの育て方だって、何人もの解説を見てる。10分程度の動画なんて、際限なく見てしまうのよ。
しかも栽培するのは玉ねぎだけじゃないから、あらゆる野菜について情報を入れてしまう。
それで、ふむふむ、オッケー!なんて、その時は理解した気になっているわけだが、
いざ現場では「えーっと、結局どうするんだっけ?」ってなったりする。
人の話をコレクションしてわかった気になって、でも結局は何もわかってなかった!
「玉ねぎの後作に何植えたらいいんだっけ?」も、さんざん調べたくせに、いざとなったら土を前にもう一度検索したりして確認してる自分の姿w
かーーーーーー!なんと滑稽なことか。
話を聞いただけと、身についてるかはまーーーーーーーーーーーーたく違うものなんだよね。
なんとか1シーズン乗り切れたとしても、来年もまた同じこと検索することになるんだよ。
あーーーー、情報過多ってこういうことよね〜って思った。
情報のコレクションなんて、ただの時間の浪費なんだよ。セミナーホッピングって、こんな感じなんじゃなかろうか。
引き換え、自分で実験しながら育てたものって、来年はこうしようとか、もっと能動的に工夫していける。自分だけのやり方を確立できる。
それにね、
今はいいよ、「わかんなかったらその場で検索」ができるんだから。
でもね、もし通信手段を断たれたら?
グレートなアレの時代、何が起きるかわかんないんだよ。そのために野菜育ててるようなものなのに、まったくなんとマヌケなことかと思った。
・・・・って、これも「体験からの気づき」。
納得したら、繰り返すことはないのよね。
本日の結論
「人の話なんていくら聞いても身につかない」
以上よ。


