知れば知るほど自由になる
そういやこないだ、近代史シリーズのビデオ動画を見てくれた方から感想メッセージをいただいた。
ザックリ言うと
「世の中のことを何も知りませんでした。自分が無知すぎて辛いです」。
・・・・・?
待て待て待て、待て。ちょっと良く考えてみる。
無知すぎて(上の句)、辛い(下の句)
ん?ダイジョブか?
上の句と下の句の間に連携を感じられんぞ?
果たして無知であると、辛いものなのか?
無知すぎて、笑える
無知すぎて、むしろ平和
無知すぎて、バカを見た
無知すぎて、失礼なことをしてしまった
・・・・てな具合のよう方ならわかるぞ。
因数分解してみる。
自分は無知である → 無知でなくなればよい
自分は辛い → 無知であることが辛さの原因なら、無知でなくなればよい
しかし辛くなるような無知さ、ってのがどうにもピンとこない。
もしかしたらその辛さは無知とはまったく別なところから来ているのじゃなかろうか。
・・・・というよりも。
もういい加減、気がついた方がいい。
わたしたちは世界の捉え方を変えたほうがいい。
この世界は、わたしらにはあずかり知らない決め事やルールで動かされている。
誰が決めたのか、いつどうやって合意したのか。
知らん。
知らんけど、そうなっている。
だからわたしらみんな、
みんな、みんな、みんな、
無知であることが推奨されてきた。
わたしらを、本当のことから遠ざけるためのありとあらゆる方策、しかも実に巧妙によく練られた方策がとられてきた。
従って、この世界に、無知でない人はいない。
しかし今となっては、「無知でいさせるための仕掛け」ぐらいはわかるようになってきた。
それを紐解いていくのが、「近代史」の取り組み。
だから別に、辛くなるような話ではない。
そして、そんな仕掛けに対して、今さら怒ったりする価値すらない。
知ってしまえば、わたしたちは自由になる。
「無知の箱」の中に入れられて、
常識とか価値観、潮流といったものが作られて、思想といったものが生み出されて、
そのまたカウンターも受け皿として作られて、対立構造も作られて、
その箱の中で誰もが、優位性を競うように仕向けられて、
どうでもいい、傷つく必要すらないことに傷ついて、
怒りを向ける相手ではない者に怒り、
また自分より劣ったものを蔑み、または憐憫を抱き、あるいは徒党を組み、
褒めて欲しい、認めて欲しい、わかって欲しい、または許せない、ザマアミロ
などの過度な感情を育てながら
結局、「辛い」と感じてきた。
な〜んだ、そんなことだったのか。
知ってしまえば、その箱は存在理由を失う。
知れば知るほど、わたしたちは自由になる。
生きているうちに、ひとつでも多くの箱を壊そう。
自然を観察していると、いろいろなことに気づいていく。
草も木も、花も虫も、鳥も
誰も「わかって欲しい」なんて言わないし、子供を蜂に食われた蝶が、復讐するなんてことは考えもしない。
食われるなら、もっと卵を産めばいい。
そんな自然合理性を彼らは持って、ただ存在して、やるべきことをやっている。
そして、各々の活動が、結局、この地球のためになっている。
彼らは、無知の箱の中に住んでいない。


