さよならを言う必要はないのかもしれない
お盆ですのでひとつの区切りとして、この話を記しておきたいと思います。
かねよん(愛称)はわたしの親友でした。
まったく気質が違う二人だけど、共通しているのが好奇心と探究心で、お互いに変わり者ですから、他の人に言ったら眉をしかめられるような感性もお互い遠慮なく披露し合えて、真剣に考えたり、あるいは茶化したり、笑いに変えたりできる間柄でした。
その守備範囲はとても広くて、個人的な話から政治、経済、宗教、健康まで、まあ本当にタブーなくなんでも茶飲み話にできた、自分にとって稀有な友人だった。
元々は新卒で入った会社の一年先輩で同じ部署でしたが、彼女は大学院を二つ出て、当時日本で数人しかいないらしい何度聞いても覚えられないナントカ物理学の博士でした。そのため実際の年齢はいくつ離れているのか、これも何度聞いても覚えられません。わたしのバーイ、大体がタメ口ですから、幾つ年上とか幾つ年下とか、まるで興味がないからなんですが、失礼な話だったかもしれません。結局、今の今まで一体彼女がいくつだったのか、知る由もありません。
昨秋から、かなり難易度の高い癌を患っていました。
あらためてそのことに触れておきます。
NYに住む彼女はかなりアクティブな人で、例えば福岡で行われるライブのため「だけ」に日本を往復する、みたいな、わたしから見たら「極端な」、彼女からしたら「合理的な」行動をする人でした。
健康オタクで、独自のナントカいう食事スタイルを数年間にわたって実施していることから、ガリガリに痩せているけど本人曰く「めちゃ元気」と言うし実際ホントにパワフルだから、痩せすぎだろ!とは思うものの余計なことは言わないでいた。
最後に会ったのが昨年7月ごろか、「日本に来てるけどなんか調子が悪い」と言うから羽田に行く前急遽施術に寄ってもらってごくわずかな時間で身体を観たのですがその時まったく軸が通っていない。まさに「吹けば飛ぶような」エネルギー状態だったので、
「フラフラじゃん!ちゃんと毎日きっちりグラウンディングしなよ」と言って送り出したのを覚えています。
確かその時も2泊の滞在で信じられないムリ目な強行スケジュールを組んでいて、身体を酷使しすぎている、疲れすぎている、ということを伝えたと思います。
ある時「調子悪いから時間ある時にオンラインで観て欲しい」と言ってきて、我慢強い彼女から切迫感を感じ、すぐにzoom繋いだところ、ただならぬ状況であることがわかり、
これはもはやわたしの手に負える範疇を超えていると咄嗟に悟ったのと同時に、「明日またやろう」と言ってzoomを切るや否や、わたしはその場で「バンタンキュー」(死語)となり、気づいたら朝の5時でした。
そこから、例によって奇妙なことが始まったんです。
翌日のある時から、わたしの中に「なにか」が入ってきて、非常に生臭い。いわく言い難い「臭さ」に悩まされ、同時に胃がムカムカして吐き気がする、しかし頑張って吐こうと試みても吐くものがない。
そしてこんなに生臭くてたまらんのに、他の人にはこの匂いがわからないと言う。
かねよんは病院に行くことを拒み、、、というより1人ではもう動けず、同居を解消していたパートナーに連絡してヘルプを仰ぎなよと説得に1日をかけ、なんとかERに連れて行ってもらうも、痛すぎて検査台に上がるにも麻酔が必要というほどの重篤さだった。
ERでは仮の病名が出されたが、ちゃんとした「本検査」を受ける日取りは1ヶ月以上先まで満杯、という結果に「そんなに先まで持たない!」とおそらく2人とも思ったけど口には出さず、絶望的な気持ちとはえいえどうにか望みを切らさず、それまでがんばろうと言い合った。
そしてわたしの周辺に漂う生臭さと吐き気は消えることなく、なぜかこの時に閃いた「M子さん」に経緯を相談することになった。
することにした、ではなくて、することになった、と書いたのは、《わたしの意思》でそうしたと思えないというか、突然「M子さんなら!」と閃いたわけで、こういうひらめき・気づきの類いは「一体、《誰》が気づいているのだろう」という永遠の謎です。
そして、そういうひらめきは必ず100%正しい。この日から今まで、M子さんはこの事案、ご自身の友達でもないかねよんに寄り添ってくれることになったんです。
で、M子さんがわたしを観てくれたところ、わたしの胃の「幽門」に、なにやら古いコインのようなものがある。「かおりさん、心当たりは?」。
コイン?・・・・・ない。さっぱりわからん。
それでかねよんに「そういえば古いコインて、心当たりある?」と尋ねたら、亡くなった祖母が昔のコインをたくさん持っていて、孫たちにくれた。渡米する時に持ってきた!と。
それだ!じゃ、おばあさんについて、たくさん思い出してみて!!
かねよんが思いを巡らせ思い出を語り出したところ、どんどんわたしの吐き気がなくなっていく。生臭さも消えていき、楽になっていく。何だこれは!
わ!これはおばあさんからの、なんらかのメッセージなんだよと言ったその時、かねよんに病院から連絡が入り、なんと「すぐに診てもらえる!」ということになった。
そこから先も、業務区分が日本以上にきっちりしたアメリカの医療業界において「そんなに先まで待てない!」という次回予約がことごとく早められ、当初の見込みとはまるで異なるスピードであっという間にことが進みました。
それはまるで彼女のおばあさんが手を回したんだなとしか思えない通常では考えられない奇跡の連続でした。
もしかしたら、それまでもおばあさんはかねよん本人にサインを送っていたかもしれない。だけど気づかないから、わたしを通して彼女に働きかけるという手法をとった。
「家族」というもの、「血縁」というものの「凄さ」をまじまじと感じ、深い感動を覚えたものです。
その後の彼女は驚くべき精神力で決して諦めなかった。
もしやこれは本当にケロッと治るかも知れないという期待までも持たせるほど回復したこともありました。
過酷な状況下でも平常通りの客観性やアイロニーに満ちた笑いを忘れることなく貫き通した姿勢は見事で、立派だったとしか言いようがない。
一方でわたしはこの件が発覚して以来、彼女の寛解を望み、真の奇跡を信じつつも、同時に1日も欠かさず「孤独」について向き合わされたことを告白しておきます。
だって親友を失うかも知れない。
かも知れないというより、むしろ「そうなんだ」と仮定して、精神を鍛える時間だったかも知れない。
もう、安心してしょもない話を交わして笑い合える存在を失うのだ。お互いの目線を楽しみつつ、共有したり考察したり、また共に過去を懐かしんだり未来を待ちわびたりする友達を失うのだ。
「いま」を生きれば、「いま」には全てがあるけれども、「未来」を想定した時「いま」にあるものすべてがあるわけではない。
もちろん人の肉体は「もの」と考えれば、ものはなくなっても魂は残るよとか、思い出は永遠だよとか、そんな言葉も出てくるでしょうが、物理的に失うということを想定すると深い絶望感に似たものを感じました。
絶望とは、「悲しい」なんかのレベルではない。これまで毎年のように良い友達を見送ってきた、そのような時に感じる寂寥感でもない、何か違うものです。
あるいは、毎年のように友達がこの世を離れることについて「またか!」という打撃が、ボディブローのように効いているのかも知れない。
もちろん、こんなことは誰にだってある、不可避のものだとは思います。
例えば、母なんかを見ていても、長年の友達がこの世を去るたびに少なからず悲嘆に暮れている。それが、わたしにとっては「早く起きている」ってことなんだろうとは思う。
しかし自分も老人になるとして、その時に長く付き合ったかけがえない友達はいない、と考えたら、何か力が抜けるような、そんな感じに随分と心を蝕まれたと思います。
でも同時に、そのことについて考え抜いた自分はもう幻想を抱かない。現実と付き合っていく準備ができたってことなのかも知れません。
わたしがイエズス会での合宿に入る日の直前、彼女はホスピス入りとなりました。
通常では考えられない我慢強さを持つ彼女ですが、最後は痛くて、辛くて、「もういいや」と言っていたので、そんな苦しみから解放されてほしい、でも勝手なものでできるだけ長くこの世界にいてほしい。
ホスピスに入るにあたっては、あっちの世界に行く時って何が起こるんだろう。かねよんいよいよ体験するんだね、何が起きるのか教えて欲しいけど術がないねと笑いました。
修道院の前で「電波を切ってしまうので10日間待ってて!頑張って!」「うん」という応答が最後になりました。
修道院から出てすぐにメッセージを打ったものの、それはいまだに未読ですから、きっと強い鎮痛剤で夢の中だったろうと想像します。
最後のやりとりから45日間が過ぎ、彼女は夢の中なのか、地上を離れたのか、もはや知るよしもない。
しかし、「その際」にはなんらかの霊的な現象がわたしの身体に起きるはずだからきっとわかるだろう、とも考えていました。
「その際」にはアメリカ人のパートナーから連絡が来ることになっていましたが、伝え聞く彼の性分を考えると、そんなことをきっちりできないとしても無理はない。
どこにいるのかな、
どうしてるのかな、
そんなことが頭をよぎっても、もうどうすることもできません。
しかしさよならを言うこともなく去っていくというのもどうなの?いや、むしろサッパリしたかねよんらしいよね。。。。
さて、母が骨折してしまい、身動きに不自由しているので、ここのところほとんど実家で過ごし、良い機会だからキッチンを徹底的に掃除しようとしています。
15日、靖国神社に参拝に行き、翌朝も不要なモノがごってりあるキッチン(に限らず何にせよ実家は気絶しそうなぐらいモノが多い!)を整理したところ、瓶に入ったなんだこれ?というものが出てきました。

それは古い硬貨で、「大日本帝国」時代のものと、昭和20年以降、占領軍つまりGHQ時代の「日本国」のものでした。
硬貨なら多分これの他にもたくさんあるはずだけれど、なんでこんな半端なものがキッチンから出てくるのか我が家の謎ですが、その時は大日本帝国時代のものの方が明らかにデザインとして優れている、ということしか頭にありません。
しかし1日経って、ふと
「あれ?」
と思ったのです。
かねよんのおばあさんの古いコイン、、、、、
それで、もしかしたら、かねよんは旅立っていったのかもしれないな、
埋葬はせずに海に散骨すると言っていたから、日本にたどり着いたのかもしれないな、
これをお盆に発見したということは、むしろそう思った方がいいんだろうな、と思ったので、真偽はともかく、自分の中で一つの区切りをつけようと思います。
とはいえ「お別れ」を言っていないからポカン感はある。
でも、もしかしたら、さよならを言う必要もないのかも知れないんだよね。
わたしが、いよいよ退屈だ!となったら呼ぶから、迎えにきてくれるよね、先輩!
先に行ったことを恨んでるよ!(爆笑)
彼女のことはまた書こうと思います。
読んでくれてありがとうございます。


