そうじゃなかった人生もあっただろう

これの続きなのですが

若いクリエイターが、アートと癒しを完全に別な次元に上げた

先日、ふと流れてきた動画に釘付けになりました。 それがこちら。 フリーダ・カーロの作品も人生もよく理解して、愛とリスペクトを持っていることが、作品のディテール隅…

わたしたちのすべてに「別な世界線」があったと思うのです。

そうじゃない人生もあった。

それでわたしはさっき突然思いついた。

誰もが優れたクリエイターになることは難しいかもしれないけれど、AIをこのことに使えるんじゃないか。

折しも、今日は広島に原爆投下された日で、「世間」にはいろいろなイデオロギーが渦巻いてもいる。

傷を負わされた方々には全員なーーーーーんの罪もない。

写真を見れば、それが80年前のことであるのに、そして自分にとっては縁もない見知らぬ方であるのに、

なぜか知り合いや親戚の誰かのことのように、あるいは果たして自分のことのように痛みが感じられたりもする。

自分の共時共感特性のせいか、痛みだけではなく、いろんな感情までをも、感じることがあります。

この方たちにも、別な世界線があっただろう。

こうじゃなかった人生もあっただろう。

そこに怒りや憎しみを加えず、別な世界線を顕現させることが、AIなら可能です。

この方は、着ていた浴衣の柄が、皮膚にプリントされてしまった。

わたしたちがこの写真を見るたびに、傷ついた彼女がまだ、そこにいる。いつまでも、そこにいる。

しかも、だいたい、この方は私人であるのに、キズの標本として半ば公人にされてしまってもいる。

(あーーーーーー、怒っちゃダメ、怒っちゃダメわたし!怒りはヤツらの餌!)

でも、傷は無事に治ったかもしれない。そして海水浴に行けたかもしれない。

あるいは、そんな爆弾などない世界に生きたかもしれない。

また、この方だって。

戦争のない世界をのびのびとお過ごしになったかもしれないし、傷は治癒して、健康を取り戻したかもしれない。

これは「歴史の修正」とは違う、「そうじゃなかった」普通で、幸せな一生を終えたもうひとつの世界線。

計り知れない苦しみを負わされた方々に、わたしができる、慰霊とリスペクト。
(*ご遺族の方、どうか不快に思われませんように、、、問題であれば削除します)

どうか安らかに、おやすみください。

この手法ならみんなもできるので、お身内や関係の気になる人物で、やってみてください。

必要なら説明のzoom会します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA