負けとわかっている上でできることって、実はあるよね
今日、「真の血中ラテン濃度」について考えさせられる素敵な人を見た。
今朝、母を病院に送る時、その辺の道が工事中で、交通誘導に出くわした。まーそれだけならなんてこっちゃない普通の光景。
手前は水分がほとんど残っていないような、小さいおじいちゃん。 「待て」のサインも弱々しい。
こんな歳になっても働ける、のほうなら素敵だけど、 こんな歳でも働かざるを得ない、なら過酷だなぁ、昔はこんな仕事は学生のバイトだったのに。
サインが「行け」に変わり、奥の誘導は金髪だよ、女性だよ。え、ロシア系?
「あらーーーーーー日本もいよいよわけわかんなくなってきたわね」by 母
やーもう、ほんとわけがわからない。こうなってしまった「わけ」なんかわかってるけど、いまさら何ができる?
わたしたちは敗北したんだよ。しかし「何に」?
Soy un perdedor
I'm a loser, baby, so why don't you kill me?
帰り道、同じ道を通ると、まだその人たちは居た。
つまり今度は手前がロシアのおばちゃん(と思しき人)。
これ↓は同じ人物に遭遇した友人がAIにつくらせたその人像。彼もやはり「ロシア人」と認識していた。

そしてわたしは後ろからよく見ていた。その人は向こうから通る車にも、深々と頭を下げていた。
その仕草は、昨日や今日ジャパンに来た人じゃない。「お辞儀しないといけないから、するように言われたからしている」ふうじゃない、今や日本人でも珍しい「ピシッとしたお辞儀」だった。
だったので、おや?と思った。
もし「仕方ないからやってる」風だったら、わたしはなんとなく「かわいそうに」と思ったかもしれない。あんたの国ではそんなことしないでもいいんでしょうに。意味わかんないのにピョコピョコ頭下げて、、、。ツラいよね。
そもそもわたしは交通誘導の人が頭を下げる義務はないと思ってる。
「待て/行け」も危険回避のためにやってくれていることで、ドライバーに対して係員が詫びることなんかではない。昭和の時代の誘導にはお辞儀なんか滅多になかった。
何か意思表示が必要ならば、お辞儀よりは親指を立てる👍とかなんとかのジェスチャーでいいんじゃないか、とも思う。
話を戻す。
つまりこのおばちゃんから「やらされてる感」が感じられなかったわけ。
そして「行け」になり、通過する際彼女をよく見た。
ロシア人と思われたその人の顔は、よく見るとラテン系だった。あれ?中南米から来たのかな?
しかも彼女は、すばらしい笑顔で、行き交うクルマにサインを送っているわけだった。
それを見た時、なにかがわたしの中に走ったんだよね。
それでちょっと、泣きそうになっちゃったんだよね。今こんなことを書いていたらずいぶんと大袈裟な感じするけど、でもなにか衝撃に近いものを感じたんだよね。
この人が今どうしてこんなところでこんなことをすることに至ったのか知らないけれど、楽しい仕事じゃないだろう。
しかしなんらかの事情があって、これをやっている。
ラテンの人特有の、太陽のような笑顔ってある。それで、そこにはものすごい力があるんだって思った。
ポジティヴとかネガティヴとか、そんな色分けを自分は好まないけれど、やっぱしああいう笑顔が町に、たとえ彼女たったひとりでも、、、、、あの人の顔の前だけは☀️←こういう感じだった。ほんとに空気違ったんだよ。
この人はSoy un perdedorとは思っていないだろう。わたしはちょっと、自分を恥じた。
実際のところ、彼女もわたしも敗北者だと思う。いやいや、この地上の、ほんのわずかな者以外は全員、99%以上の人間は敗北者だと思う。
しかし敗北者が手にできる唯一の武器が、ああいう笑顔かもしれない。
世の中が、環境が、状況が、「良い」時に笑顔は、誰でもできる。
逆もまた然りで、最悪な時にピースカギャースカ、不愉快な顔、沈んだ顔なら、これもまた誰にでもできる。
んじゃあ、最悪な時に「笑顔をふりまきましょう」って言ったら、それはフェイクで、つまり嘘だ。
ラテン特有の太陽のような笑顔っていうのは、意図して作っているものではなくて、本当に血中ラテン濃度のなせる技というか。
ともかく。
負けとわかっている上でできることって、実はあるよね、と思ったのでした。
そうでなくとも、ひたむきさって尊いなと感じた。
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