「強く生きる」を教えてくれた人の話

先月からある友人と、往復書簡を始めました。

言うまでもなく、映画『急に具合が悪くなる』の原作が、2人の女性の往復書簡だったことからのインスピレーションです。

本当はお手紙でやりたかった。

でも生まれついてのだらしなさ。書いても出すの忘れたとか、出したつもりでバッグの中にあったとか、容易に想像つくためnoteを使うことにしました。

よかったら、読んでください。無料です。

https://note.com/kaorissima/m/mff6bb15657ab

その中の記事として書いたのですが、わたしにとって大切な思い出なので、こちらにも転載しておきたい話があります。

「強く生きる」ってことです。

感情を持っていかれない、ということの重要さに気づいた若い日の出来事です。

「弱い自分をわかって欲しい」などの深層心理に含まれる、自分の弱さを売りものにすることへの、わたしが持つ嫌悪感はすべてこの出来事から来ていると思います。

【転載】

共感に関して叱ってくれた恩人のこと

共感について、私にガツンと教えてくれた人のことを、長くなるけれど記しておきたいと思っていました。

1999年のある時期、私はローマにいました。
そこではある老夫婦の家の一室を間借りして住んでいました。
ちなみにヨーロッパ、少なくともイタリアの「ホームステイ」はアメリカのそれとは全く趣を異にするもので、一部屋貸すからあとは勝手にやれ、です。食事を出してくれるかどうかなどは契約によって違いますが、概ね「部屋を貸して収入を見込む」というものです。

この老夫婦は、脳卒中で体の自由を失った夫と、それを世話する妻で、いわゆる「学のない人」でした。学がないと同時に、屈託もない人でした。
ある時、外から帰った私が「なんか、どこそこの広場で何かのグループたくさん集まっていて、旗を振って、やかましくなんかやってたけど、なんだろう?」と言うと
「ああ、それじゃ共産党だわね😊」と満面の笑みで返ってくる。
「ええ?そんなニッコリして、おばあちゃん、共産党が好きなの?」
「あんたは嫌いなのかい?私は共産党だよ?」
「え、どうして?どういう理由で?」
「理由なんかないよ。私のお父さんも共産党だったよ。だから共産党だよ」
「・・・・そ、そうか(理由なんかないんだね)」
「共産党は日本にもあるのかい?」
「あ、、、あるけどさ、、、、」
といった具合。

夜になると、必ず大音量で決まったテレビ番組を見る。当時(きっと今もでしょうけど)イタリアの番組は実にくだらないものが多く、私は耐えられないのですが彼らは楽しみに見る。
ある時、ミス・イタリアだかなんだかを選ぶしょもない番組があって、仕方なく付き合って画面の前に座っていたのですが、ま、特に私には何も言うことがないので、「彼女は綺麗ね」程度のことを言ったのです。
すると彼女(イネスという名前でした)は、キリッと真面目な顔をこちらに向け、
「あのね、すべて女の子というものはみんな綺麗なもの。そうでしょう?」
と言うのです。
これにはハッとしました。彼女が本当にそう思っていることが伝わったのです。そして、日本でこんなセリフは聞けるかな?と思いました。

その家はいつも学生に一部屋貸しているため、世界中の学生から絵葉書が届く。
「私はどこへも行かないけれど、こうしていろんな国の、いろんな町を旅した気分になる😊」。
それで、私の部屋には十字架のキリスト像と並んで、誰かが持ってきたのであろう日本の皇室カレンダーが掲げられていたってわけです。
そして彼女は共産党、というところに私は1人でヒクヒクしていました。

イネスの身の上について、いろいろな話を聞きました
若くして結婚したこと、いろいろなところで掃除婦や家政婦として働いたこと、戦争になりファシストの迫害から逃れてアルゼンチンに渡り、そこでも2人して必死に働いたこと。
戦後、ローマに戻り、子供2人に恵まれ、働き詰めに働いた。ああ少し楽になったなと思った頃、夫が脳卒中で倒れた。それから10年、彼は体が動かない。彼は本当に頑張って立派に働いた、とてもいい夫だった。今は言葉を交わすこともできないけれどね。
実際に、彼はウーとかアーぐらいしか言葉を発せず、食事はすべてイネスが口元まで持っていって食べさせるという具合で、大変だなあと思って見ていたのですが、この話を聞きながら、思わず私は泣いてしまったのです。

すると彼女は鋭い目で私を見、真剣に、強い口調で言いました。
「ダメだ。こんなことで泣くなんて、あんたはダメだよ」
いいかい、人のことで心を乱されたりしてはいけないんだよ。そんな弱い人間はやっていけないよ。あんた、強くなりなさい!
また、確か、「この境遇は大変だけれど、私は不幸ではない」といったことも、彼女は続けたかと記憶しています。

これはこたえました。
理恵子さんもそうであったように、私は幼いうちから共感性が高く、人の身に起きたことを自分のことのように感じてしまう特性がありました(この特性は「エンパス」というものです)。
また、弱い立場にある人々に対する、ある種の親愛の情、、、、もしかしたらその時まで、弱い立場の人が正義だと思っていたかもしれません。
そして、この時も、彼女に一喝されるなどとはつゆとも思っていなかった。むしろ、人の痛みを感じられることは「美徳」だとさえ思っていたんだ、と気付かされました。
それは傲慢というものだった。後から考えるに、彼女のシビアな境遇を、のほほんと暮らしてきたこの自分ごときが、真に理解する立場にないのです。

いや、かえすがえすも、これはかなりショックなことであり、しかも彼女の一喝は大正論だと理解するのにコンマ1秒もかからなかった。
この境遇にある人から出る言葉は決して軽くはないのです。

「優しい」と「弱い」は西洋社会では紙一重。そして「弱い」の烙印は致命的なことでした。
またそれは、西洋社会じゃなくても、「あんた、そんなに弱かったら生きていけないよ!」は真理だと思った。
その瞬間から、私は「自分の感情の置き方」について、ひたすら真剣に向き合うことにしました。

感情が動くことと、事実を事実としてただ受け止めることを分ける。
そして感情が動くのを眺める。
その脳内トレーニングを徹底しました。
だから、これ(感情に流されない)は誰にでも可能なことだと確信しています。

自動的に共感することと、必要な思いやりを示すこととは違う。
しかしあの体験がなかったら、私はいまだに気づいてなかったんだろう。
今、私がこの仕事をして、いろいろな立場にある方々の話を聞いて冷静に対処できるのは、あのイネスおばあちゃんのおかげだと思っています。
年齢から言って、もうこの世にはいないでしょうが、自分にとっては、3本の指に入る恩人、もしかしたら一番の恩人なんじゃないか。
そして私にとって、彼女は聖人です。



感謝が届くように、これを書いておきたくなりました。

ではまた。

【転載おしまい】

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