これは最終試験みたいなもん。泥の中に咲く蓮のようでいられるか

この世界は感情ゲームで、

人間は「深いところ」を揺らす機能つき。

猫は、嬉しかったことしか覚えてないらしいけど、悲しいかな俺らは人間。

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と言いつつも、

あれ?

なんかわたし、、、、、嬉しかったことしか覚えてないかも。

「忘れたくても、思い出せないのだ」by バカボンパパ

ハッ!・・・・だんだん、猫に近づいてきたんだわ!よっしゃーーーーーーー!

自分を宇宙人などと名乗るより、猫でありたい。

だって猫は百獣の王。ファーーー!と言っただけで、熊も逃げてく。くほほほほ。

ああ見えて、猫は勇敢で、賢く、そして優しい。

一時期流行った「それはその人の選択だから」で全てを済ませるブーム。

あれはいったい何だったんでしょか?

「その人の選択だから」は至極真っ当なんですけど、深い納得もしてないのに考えたくないからその一言で済ます。

感情を揺らされたくないから、その一言を言っとけばイイ。

そんなことを簡単に言う人ほど、自分の傷への共感だけは求める。

アタクシには、そんなふうに見えていました。

さりとて。

人間には、思いやりという機能があるってもんです。特にわー国の人間には、その機能が特別強化されて実装されてました。

困ってる人がいたら助ける。

もしも自分の一言が、誰かを励ますことになるなら、誰かの危険回避になるなら、その言葉をかける。

言葉なんてタダなんだからいくらでも差し出せばええやんけ。人間は、本当につらい時、その言葉だけを命綱のように頼りにすることだってある。

それなのに、おせっかいと言われたくない。

間違ったこと言って嫌われたくない。

おまけに今では全てが「ハラ」だから、人のことはほっとけ。

昔はおばちゃんというものは全員おせっかいでした。

没落し、人心荒廃するわー国。お、落ちていくーーーーーーー!

てか、世界全土がそうなってますけど。

こうなったら、「人の人生を生きない」とか「自分軸で」とか、そんなことを必死に言ってた時代は、もう過去の話なんじゃないですかね。

みーーーーんなが「自分さえ良けりゃ」の世界になっちゃったんだから。

それがいいんだか悪いんだか。

って、悪いでしょ、どう考えても。

とりあえず自分を守る。そんで、思いやりを持って人にも接する。分かち合う。

それが人間てもんじゃないんでしょうか。深いところを使えるかどうか。

今から来るアレ。アタシはこれは最終試験みたいなもんだと思ってます。

どんなに世の中が💩でも、泥の中に咲く蓮のようでいられるか。

承認欲求を満たし、自己実現を果たしたあとに、それでもあるのが「超越的な欲求」。

自分のためだけじゃない、社会や隣人のために何かしたい欲求。

アタシだって一応、人間の形をして生まれたからには、人間としての機能は使い果たしたい。

とにかく、2度と生まれて来たくない!

蓮の花とはいかなくても、赤く咲くのはケシの花ぐらいではいたいもんです

ま、そんなふうに思います。

って、どう生きるかは、「その人の選択」ですからね。

なんかそんなことを思いました。

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