「頑張った自分へのご褒美?」・・・ふざけんな!

龍蛇神の話題から壮大なこの世界の仕組みについての続きを書いていきたいんだけど、同時に我々が生きているこの牢獄世界から離脱するためにって話で、

我々の意識にいかに深く「奴隷根性」が浸透しているか、例を挙げてみる。

奴隷は自分が奴隷であることに気づかないものだよ。

この話は10年前にも書いてるはずだけど、新しい読者も居てくれるから、同じ例を出そうと思う。

今ここで気づかなければこの先も一生気づかないし、頭で「わかった」と言っても「無意識」にしみついてるものは簡単に外れないってことだけ理解してもらえたら。

端的に言うと掲題の通りで、

そこかしこでよく見かける

「頑張った自分へのご褒美」

という気持ち悪い言葉。

例えば、

ちょっと高いカシミヤのセーターを買った。「毎日寒いし。仕事頑張ってるし」みたいな前フリを自分内に含んで「自分へのご褒美に」とかポストしてるケースを死ぬほど見かける。

考えてみてください。

「褒美」ってなんだよ?

目上の者が、目下の者に対して出す報酬。

手柄を上げた武将に、殿様が言う「愛いやつよ、褒美をつかわす」。

殿様のご機嫌にかなうことをやった結果として、いただくものが「ご褒美」。ご機嫌にかなう「活躍」の対価。主従関係。

「頑張った自分」に対して自分が褒美を出すって何?

あなたの欲求に対して「頑張ったんだから」って言って自分を納得させなきゃいけないのでしょうか?

気に入ったから買った。素敵なの見つけたから買った。必要だから買った。そして、そのことが「嬉しい」。

それなら極めて自然で無理がないでしょうけれど、

何がしかの「罪悪感」の差し替えとして「頑張ってるんだもん!」ていうエクスキューズをつけてから、そのモノなりサービスなりの行動に至っているなら、自分を無条件に愛してないじゃん。

日頃「頑張っている」ていう条件付けしないと、その行動に走れないのか?

気に入ったセーターひとつ買うのに、エクスキューズや許可が必要なのか?

奴隷ならそうでしょう。そうでしょうとも。あなたに自分の意思は必要ない、それどころか意思を持ってはいけないんだから。

しかし我々は奴隷ではない。少なくともわたしは違う。あなたが奴隷でいたいなら別にそれでいい。

ピンと来ないなら、これはどう?

旦那や彼氏、または娘や息子がプレゼントしてくれた。

その時に「ご飯作ってくれてるご褒美」って言われたら気持ちいいか?嬉しいか?って話。

ご飯作ってなかったらプレゼントはもらう資格がないのか?何かプレゼントしてもらうのに「頑張って奉仕」しなくてはいけないのか?

んな訳ねーだろ。

プレゼントって本来、そんなものじゃないでしょう。

自分の欲求に対して、いちいち条件付けしているのはあなた自身。

それより、自分のすべてを認めて受け入れろ。

もちろん、あなたはそんなこと意識して発していない。そんなことは知ってます。

無意識に使っている「自分へのご褒美」。潜在意識にしみついた「許可を取らないと」精神。

だからあなた奴隷だって言ってんだよ。

褒めてもらわなきゃ動かない人間なんて、それ奴隷。

だいたいエクスキューズをつけてから取る行動に、ろくなものはない。

気に入った。それを欲している。だから買った。ハッピーだ。今日も上機嫌!

それぐらいシンプルにしろよって話。

じゃあ、罪悪感がある場合どうするのか。

罪悪感を捨てろ!

気分良くやれ!

以上。

気分良くできないなら、それはするべきではない。

そして「その罪悪感」はどこから来ているのか、じーーーーーーーーーーーーっくり考えろ。地面がメルトダウンするぐらい、ふかーーーーーーーく掘って突きとめろ。

そして、一切の他責を自分に許すな。

そうじゃなければ、あなたは一生条件付けの世界に生きるよ。

子供の頃、親に縛り付けられたから?

じゃあ親が悪いのか?親を責めろ。気の済むまで責めろ。

しかし次にわかるでしょ?そんな親に縛られて今まで生きたのはあなたの意思。それを打ち破ることを今までしてこなかったのはあなた自身。

まあね、だいたいアレですよ。

「頑張った自分へのご褒美」なんてね、どうせ90年代ぐらいの、デビアスとかなんとかの広告コピーだったんじゃないの?(調べてないけど)

あなたは毎日すごく頑張ってる!誰も認めてくれないけど、あなたは知ってる。自分がどれだけ頑張ってきたか。男性しかいない職場で、生理痛の日も歯を食いしばって頑張ったよね!

そんなあなたは、ダイヤモンドのひとつぐらい、手にする価値がある。

とかなんとか。

(知らんけどの世界)

・・・・・・素敵なものを得るのに、いちいち身を粉にする必要どこにあんの?

昨日ちょっと紹介した、ミヒャエル・エンデの「モモ」だけど、

https://amzn.to/4b1UiZQ

冒頭のところにいきなり核心に触れる箇所がある。

その村には円形劇場があった。裕福な人には裕福な席が設えられている劇場。貧乏な人向けには質素な設えの劇場。

いずれにせよ、村中の誰もが劇を楽しむことができた。

みんな舞台の上で繰り広げられるお芝居が楽しみで、夢中になった。

そのうち、みんなは劇の話が、本当の話だと思うようになった。

・・・そんな感じ。

踊らされるな。

勝手に踊れ。一人で踊れ。

奴隷でいたけりゃ、一生踊らされてても構わないけど、疲れたからって休めないよ。

ではまた!

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