自己肯定感という言葉に潜むトリック(と、ご感想)
先日のセッションで「自己肯定感」という言葉にものすごいトリッキーな一面を発見しました。
施術家であるこの方は、頭脳明晰、意志強固、決めたらやり抜く強さをお持ちです。
人生の大半を、さまざまな技術の取得、知識の獲得、研鑽を積んできた方。
具体的なことは書きませんが、もしも書いたなら誰でもが驚愕すると思う。そういうレベル感で、です。
技術はハンパない。ロジックの裏付けも申し分ない。
それでもまだ探求を続けたい、習いたいことがある。
けれども課題は「経済」でした。
休みなく予約を取り、朝から晩まで働くけれども、経済が回らない。だからちょっと疲れてしまっている。
一体どうして?
力量に対してまったく均衡が取れていない金額で提供していることがわかりました。
それを本人は「自己肯定感が低いから」と最初仰った。
や、しかし。
果たしてそうなのかな?本当にそうなのかな?とわたしは疑問を持った。
この方は芯が強く、ブレがない。
修業先でいじめを受けてもへこたれずやりきった。その道の大家みたいな権威の先生にも、おかしいと感じたら質問を厭わない、下手したら論破してしまう。
そんな人が自己肯定感が低い?むしろ逆でしょうが。あはは。
金額を正しく設定できないのは、自己肯定ではなく、今提供している仕事の「概念」と、金額というものへの「概念」、の修正が必要なだけなんじゃないか、瞬時にそう思いました。
貯めること、たくさん稼ぐことに関心があるわけではなく、探求に必要な時間とお金が必要な方なのです。
この方が言う「まだまだ習いたいことがある」は、その辺のいわゆるセミナージプシーとはワケが違います。
「もっと奥に行きたい」という探究心ゆえのことなので、気の済むまで進んだら良い。どうせ一生気が済むことなんかないんです。(わたしも似たところあるからわかります)
で、あれば。
「未来への学習資金を作るために今やっている」ときっちり定義したら良いんじゃないか?
そうするとモチベーションも何もかも刷新されて、気分良く取り組めるのでは?
・・・・・まあ、そんなことをお話しさせていただきました。
自己肯定感ていう言葉ってかなり難儀で、やたら流通しているだけに七難隠してしまう。
「自己肯定できていないから適正金額をつけられない」そんな例はあるかと思いますが、どなたにも同じケースが当てはまるわけでもないです。
問題の本質からズレてしまうこともあるトリッキーなワードだな、と思いました。
はまり込んでいる視点をずらしたら解決策が見つかるものですね。
おさないさんのセッションは、
おさないさんという人そのもののように、本質を探り、認め、
本当の天命を生きることを励ますものでした。沢山の知識と、長年の経験と、天性の直感と、
そして辛口の中にも滲み出る深い愛を持って行われるそのセッションは、唯一無二であり、
受ける人の心に強く響いて、変容を促すものであると感じました。

聡明な方に褒めていただいて正直に嬉しいです。
真に力量ある人は、余裕ある生活ができるようになるべきです。
「奉仕」ではなく、良い気分で仕事できるようになるのを祈ってます。
わたしのセッションは「内容おまかせ」で、優先順位の高いもの、今すぐ必要な解決から進めていきます。
「お金」に関するお悩みは、ジョーティシュの分析がかなり役に立ちます
人は十人十色が当たり前。お金の感覚だっていろいろあります。
それぞれに合ったお金との向き合い方って、あるものです。


