呼吸〜吐く息と吸う息
2018年1月22日
生きるとは、息を吸って吐くこと
今年は、特に瞑想と祈りの時間を多く持とうと思っています。
意識して呼吸をすること。
呼吸といえば、「息を大きく吸って深呼吸!」というラジオ体操的な声が聞こえてきますが、実際、そんなに吸う必要はない。
「坐禅」は呼吸を見つめる、自分の吐く息と吸う息に意識を集中することで成り立ちますが、どんな瞑想法でも、ヨガなどでも、呼吸は最も大切な動作。
考えてみれば当たり前で、完全に呼吸が止まったら人間は死んだってことになるわけなので、生きることとはつまり超シンプルに言えば呼吸をすること、です。
それで、息は吸うより吐く方が大切です。
普段、とりわけ意識しなくても、人間は最低限度の量の空気を吸っています。
それに外を歩いていて、自動的に「鰻屋が近い!」と思うのは、無意識に吸うことで、あのタレの匂いが入ってくるからですが、「息を吐く」に関しては、意識して取り組まないと、吐いてる実感を得られません。
適当に息を吸い、それを大きく吐き出してみる。
吐いて吐いて、吐き切っても、まだ吐ける、ということに気づくと思います。
吐き切るとお腹の下、つまり丹田が温かくなってくる。そこにエネルギーが生まれます。強く吐くことで、体は内部からあたたかくなってくる。
吐いた息は丹田より下から、身体を出て、地球の奥深くまで進み、そのまま地中を通って地球の反対側まで行って大気の中に送り出します。
そこから吸って、丹田を通して自分の中に取り込む。そしてまた吐く。
そのようにして自分と大地、宇宙の距離感を感じることで何かが繋がり、何かがリセットされます。
また、吸う息と吐く息は、受動と能動でもあるということ。反対のように思うでしょうが、自分の意思ですることは吐く息です。
(自分が)ホッとする時には息を吐くし、(外的要因で)驚いた時には息を飲むわけですからわかりやすい。
日常生活において、自分の意思ですることは力をもちます。また、同時に苦ではない。だって自分がやりたいんだから。
一方、吸う息の意識は受け身です。「やらなければいけない」とか、やらされてる感、などです。そこに大きな力は生まれません。
同じことをやるにしても、自分の意思が先んじていれば苦もなく、楽しく、エネルギーに満ちたことになるし、人からの指示や義務感などによって動くのであれば特に楽しくもなく甲斐もなく。
なんでこんな話をしているのかわかりませんが、なんとなく書いておきたくなりました。
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