不思議のメダイ〜いつでも見守ってくれる人

2018年2月7日

 

「不思議のメダイ」というものがあって、聞いたことがある方も多いと思いますが、Rue du Bac にある修道院で起きた出来事から作られたマリアさまのメダイのことです。坂ノ下修道院ではありません。

>>不思議のメダイ(wiki)

これね↓。こないだパリに行った時に撮ったもの。

メダイというのは変な言葉ですがフランス語のMédaille、つまりメダルです。

さて、わたしはよく「クリスチャン」だと思われているわけですが、そうではありません。ものすごく正確に言えば、そうではあるがそうではない。ジーザスのことも好きですが同様にブッダのことも偉大だと思っています。またコーランの教えに深く感じ入ることもあります。ブラジルのように土着の神様を大事にしていることにも心動かされますし、最近は弁天様にわたしのクリエイティビティの後押しをお願いしています。
わたしの理解では、戒律や教祖、それに基づく組織を持つものが宗教だと考えていて、「(信じるのならば)〜でなければならない」というルール(規則)に外れると救われない、といったものである限り、わたしには必要がないと思っています。組織に所属することには関心がないのです。
ただ、わたしは絶対的な神の存在を信じている者であり、その神には特別な名前がありません。「神」という呼び方さえも、正しいというよりは便宜上の呼び名であって、まあそう呼ぶのがわかりやすく手っ取り早いわけです。
結構多くの人が宗教と神の存在をごっちゃにしているような気がしていて、わたしには信仰はあるけれど、宗教的な立場ではありません。けれども特定の宗教を信じている人を否定するものとも全く違います。
この話をし始めるとむちゃくちゃ長くなり、書きたいことから遠くなるので今はどうでもいい(笑)不毛な論争も好きではありません。

そしてわたしは、聖母マリアをとても身近に感じています。
いつかも書いたような気がしますが、子どもの時にマリアさまのメダイ(不思議のメダイ)を叔母にねだって身につけて以来、長いブランクを経て、今また肌身離さず身につけています。

そしてこの、マリアさまのマークを見ると、どういうわけだかとっても安心するのです。意匠の力ってすごいと思う。

マリアさまの何が好きって、彼女は絶対に人を裁いたりする立場ではないのです。
カトリック教徒であろうとなかろうと、どんな人でも、彼女の名前を呼ぶ限りは慈しみ、見守って、必要なら助けてくれる。それがたぶん全世界で彼女が愛されているシンプルな理由なんだと思う。
何をするにせよ、そっと見守ってくれる人。そしてピンチになったらそれとなく助けてくれる。つまり理想の母親であり、理想の上司かもしれません。
恐ろしく、時に強権的に何かを排除する存在とはかけ離れていて、慈悲によってあらゆる苦難から人を癒してくれます。
そんな人、普通の人間では、まずいません。
この辺りの話をし始めると、彼女のスポークスマンみたいにいくらでも続けられますが、長くなるのでもういいです(笑)
興味がある方はこの本とかわかりやすいかも。中古で安い(笑)わたしは老眼なのでKindle版を推奨ですが。

そんなわけで、わたしはいろんなところでマリアさまのグッズを買っています。
なんというか、「身につけたくなるもの」を探すのが好きなのです。そしてわたしはシンボル好き。
お守りにはいろんなものがありますが「身につけたくなる」はキーワードで、この辺がカトリック教会の意匠戦略が非常に優れているところだなーと妙に感心してしまうわけです。たいていのものはイタリア製です。
だとして、わたしはそれを、ちゃんと身に付けられるものに仕立てたい。

↑超使っているのでアンティーク調になってきた。

で、最近はこういうグッズで少し作れるようにたまってきたので、必要としている方に向けて制作しようと思っています。
こんな感じです。ネックレスで使えるように作りますが、バッグチャームなどにして、そっと忍ばせておくのもいいと思います。

ところで、
イタリアにいた頃は、特に南部の人たちの「異様な信心深さ」に辟易としていたわけでして、
何かというと「聖アントニオにお祈りだ」とかなんとか、、、、はいはいはいはい(いい加減にしてくれ)、と思っていたわけなんですが、今や自分がマリアさまの話をしていることが、なんだかちょっとおもしろいなと思います。
でもねー、、、、自分が働けば済むようなことまでいちいち聖人に助けを求めたりは、やっぱりしません(爆笑)。だって天は自ら助くる者を助くんだもん。

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