どうやっても分かり合えないことはある
2018年2月23日
どうやっても、分かり合えない人って、います。
どんな言葉や、どんな表現で伝えようと、悲しいぐらい伝わらない、という相手。
これは必ず、いる。いるのが普通。
人生活動も長年進んでくると、それなりに出会う人間の累計も多くなりますから、まあみんな経験するのじゃないかと思います。
ところで「わかる・わからない」問題、結構ややこしい。
頭でわかっても受け入れられない、とか、人にはいろいろあります。
こういうのはいったい何なのか。
でもねそれは意外と簡単な仕組みで、ある意味、こう例えられます。
テレビとチャンネル、番組と視聴時間。
相手に何かを伝えようとしている時のあなたは「テレビ局」です。そして考えという番組を言葉や態度を使って届けようとしている。
だって人はすべて波動。「考え」なんてものは、波動の最たるものです。
テレビも電波を使って、何がしかのコンテンツ(番組)を届けようとしています。
自分の言うことが「伝わった」と感じる時というのは、相手は、あなたの考えという番組を、テレビ(受像機ね)の前に座って、生放送を見てくれているような感じ。相手は、だから、「視聴者」ね。
で、最近は視聴者がリモコンで押したら自分の反応を局に返せる、みたいな機能があるからイメージしやすいと思いますが、伝わったことに相手も何がしかの共感なり、納得なり、していることがわかる、という仕組み。
視聴者がその番組に反応して、視聴者側からの番組を放送することもある。
当意即妙な気分のいいやりとりというのは、このようにしてテレビ局と視聴者の関係が即座に切り替わって、お互い送受信できる状態のこと。
そうなると楽しいですよね。
でもね、いつもいつも「生放送」というわけでもない。
あなたの番組は録画されてて、相手の好きな時間に見られるかも知れない。
タイムラグ。
これ、誰にでもあると思うけど、「あの時言われてわかんなかったけど、今になったらよくわかる」みたいなこと。
録画された番組が、視聴者の好きな時間帯に見てもらえた、ということ。
「言ってることはわかるけど、それは受け入れられない」。それは、番組を見たけど、その番組があんまり好きじゃない、というような場合。これも、誰にでもある。
気に入らなかったなら仕方がない。
ワタクシなんて、だいたいどんな番組も気に入らないから、テレビそのものをほとんど見なくなって10年ぐらい経ちます。ニュースですら、つまらない。
「内容はわかるけど、どうでもいい」。つまりそういうことです。
ここで。
どうしても、その考えを伝えたい、とするなら、番組の内容を変えたらいい。放送時間を変えてもいい。
コンテンツ(言いたいこと)はドラマでも、ドキュメンタリーでも、コントでも表現できる。
もしかしたら表現手法によって伝わらなかったのかも、と思う場合は工夫して試してみたらいい。
そして、この場合も、大事なのは、あなたというテレビ局の出す電波を、相手が「受信可能なテレビを持っている」という前提の場合です。
ま、ラジオにしてもネットにしても、皆同じ。「相手が受信できる」という条件においてのみ、それは作動するのです。
若い頃、初めて買ったMac。当時はどんなに画期的だったことか。しかしインターネットに繋がりません。そういう機能がないから。
あるいは、昨日買ったiPhoneでも、中国に行ったら繋がりません。仮につながったとしても、Facebookなんか見られません。規制されてるから。
そう、いろんなトリックがあるのです。
受信機を持っているからと言って、繋がるとは限らない。
繋がるはずの受信機でも、相手が受信する気があるかどうか、これもわからない。
さらに、他の局のものは受信できるけど、あなたという局の電波は、映らない可能性もある。
そりゃそうでしょ、日本のテレビではフランスの番組は見れません。極めて普通にあり得ること。
だからやっぱり、
テレビとチャンネル、番組と視聴時間
これに尽きるのです。
これが、相手と自分の周波数の話であって、どうやっても伝わらない、分かり合えない人っていうのは、
そもそも周波数の違うものは送受信できないよ〜
という根本的な原理です。
そして、それは致し方ないことなのです。
どちらかが優れていて、どちらかが劣っているとか、どちらの言うことが正しいとか正しくないとか、そういう類の話ではないのです。
単に周波数が違うだけ。
それを、無理やり伝えようとか、わかってくれないなんて、とか、苦しんだり悲しんだり、ましてや強制するなんて、全く意味をなさないことです。
どうしてわかってもらえないの?も同じで、そんなに責められるような話でもないのです。
そして、その「どうやっても無理」なものに固執すること自体が、自分の周波の出力を低下させてしまう大きな要因になります。実によろしくない。
そもそも通じないものを通じさせようとするよりも、自分の人生を充実させて、バリエーション豊かな番組を作り、双方向での送受信可能な相手を見つける方がよっぽどいいい。
そんな相手は多くなくても一向にかまいません。良質な番組を作り合うことが大切なのです。
「大切な相手を大切にする」ことは、意外にきちんとできていなかったりします。むしろそちらを見つめた方がいい。
それに、さらに言えば、どうしても通じない人間と通じようとするより、「自分自身のソース」と通じることの方がはるかに大切です。(ソース、神といってもいいし、なんでしょう、自分の根元をなす大きな存在ですかね)そこからの受信回線を強化することを心がけていれば、周波数の違う人間のことを気にしている時間は無くなってしまうのです。物理的に。
人はそれぞれが自由。
それぞれに周波数があり、それぞれが活動している。
みんな独立局として、いろんなコンテンツを作っているのです。
そのことを理解して、自分の楽しいコンテンツを作りましょう!
今日もまた、アクセサリーの話ではなかった。
ここまで読んでくれてありがとうございました!
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