硫黄島のニュースに心えぐられる

日本は今、存亡の危機で、今年はまさに大峠のはじまりだと思うんだけど、それが終戦から80年ていうキッカリした数字だってことも、偶然でもないのかもしれないな。

天皇陛下が硫黄島へ慰霊に行ったニュースを見て、やっぱりセンチメンタルな気持ちになってしまいました。

そこではいまだにたくさんの日本軍兵士がいて、故郷に帰りたい人もいるでしょうし、孤独な戦闘を続けている人もいるんだと思う。

そういう、姿のない人たちのことを思うと泣けてしまう。

いろんな思いも同時にこみ上げてくる。

 

若い頃は「許せない!」だけだった。戦争に勝つことが考えられているとは思えないアホな作戦を遂行して、人をこれだけ死に追いやって。それも惨い死なせ方をして。

そのくせ上層部はのほほんとしている。それじゃまるで「棄民」じゃないか。人の命をなんだと思っているんだ。考えれば考えるほど怒りしか感じないし、わなわなしてくる。

当然今でもそのどーしようもない怒りはあります。

でも自分が歳をとって、少しばかり広い視野を持って当時の状況を理解するよう努めたら、

それからまさに今、全国の皆さんの苦悩の元となっている「因縁」を探ってそれを解除する仕事をさせてもらうようになって、

怒りだけでは鎮まらないものもある、

たとえこの怒りが正当なものだとしても、自分たちから遠く離れた過去のこととして、戦闘とは無縁な世界にいて、「許せない!」の気持ちだけでは、浮かばれない存在、解き放たれない想いもある、

ということが

本当の事実、リアリティとして文字通り骨身に染みるようになりました。

またそれによって、人間存在の絶対的肯定というふうに捉え直すようにもなりました。

そうなると、戦争というものが、「平和」な時代の自分には関係がないことだとは、到底思えないようになりました。

それゆえに、戦死者への追悼とは別なレイヤーで、戦争の本質が知りたくて、少なくとも過去200年の近代の歴史を紐解くようになったんです。

 

硫黄島に今もいる姿なき人々。

大日本帝国の天皇の軍隊として銃を構えた人々。今も構え続ける人々。

この人たちは、当時の天皇の「孫」の訪問によって、日本という国が滅びず今もあることを知り、安心してくれたかもしれない。

今回、天皇はそんな人々を1人残らず連れて戻ってくれたんだろうか。

今年、彼らは沖縄、長崎、広島に訪問されるそう。

日本は存亡の危機。戦没者は何を思う。

そんなことを考えると、ほんとうに申し訳ない気持ちになる。

でもしょぼくれている場合じゃないよね。

我々は、命ある限りはしぶとく前を向かなきゃ、むしろ申し訳ないよ。

 

あー。。。。

なんだかセンチメンタルな気分です、スイマセン。

とりあえず広末涼子報道とかはどうでもいいです。それよりやばいことたくさんありますから。

 

 

ありがとうございました。

 

 

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