今、必要なのは「セルフ盛り土」

2016年11月15日

 

どこかの施設で「盛り土」があったとかなかったとか。それが「もりつち」なのか「もりど」なのかとか。
ま、とにかく、あるべきところに土が盛られていないと困るわけです。
不安定で。

ところで、世の中のほっとんどの人は落とし穴にはまっています。世の中は落とし穴だらけだからです。
それは落とし穴ゲームみたいなもので、普通にしていたらまっすぐ歩けないようにできているからなのです。
しかし、繰り返しますがそれはゲームです。アトラクションです。

例えば、わたしはこの週末2日間を断食して過ごしました。おかげで今日はすこぶる体調がいい。
でも断食と聞いて「苦行」を思い浮かべるならそれは落とし穴、だって全然辛くもなんでもないし、食べなければエネルギーが出ないと思い込んでいるのも落とし穴。経験から言いますが、4〜5日食べないぐらいで人間死にません。むしろ壮快になってくる。
例えばそれを聞いてあなたは「へー!」と思う。
「壮快になるならやってみたいな」と直感的には思う。だけど瞬間的に否定します「私にはできない」「すごい辛そう」「意志が強くないから」とかなんとか。

それは落とし穴です。
まだやってみたことすらないことを、過去の経験、あるいは推測だけを優先させ、結果を「無理」に導こうとする。
それは思考の癖であって、直感に委ねる術を知らないだけ。
もっと言えば、直感に委ねることの気持ちよさ、清々しさ、あるいは直感に委ねたゆえの成功体験、などを単純に「知らない」というだけなのです。

そういうことを言うと、「自分はそうやって逃げたいんだよね」みたいなことを、視線を落として呟いたりする。
えっ、そういう反応?????
一体、何から逃げていると言っているのか。
だいたい逃げることは悪なのか。それは誰が決めたことなのか。
単に「知らない」だけなのに、何か自分の中にネガティブを感じてしまう。
それもすべて落とし穴です。もっと楽に生きルことをお勧めします。

落とし穴にはいくつか種類がありますが、みんながはまり込んでいる固定観念はその最たるものです。

アクセサリーで言うなら。
「若くないのに、それ、似合うでしょうか?」
いや、気に入ったなら身につければいいでしょう。
「欲しいけど、買ってもしていくところがない」
いや、明日会社にでも、買い物行く時でもすればいいでしょう。

そんな風に、自分の欲求にブレーキをかける癖。とりあえず否定から入る癖。不安を大事にしてしまう癖。
「似合わないから欲しくない」「好きじゃないから買わない」。そんな反応なら自然です。そんな選択ならあたり前です。
でも「本当は○○○だけど、●●●●だから●●●●しない」。
いや、大切なのは「本当は○○○だ」という箇所だけで、以降のセリフはどうでもいい。人生すべての話です。

で、「本当は○○○だ」という箇所だけを大切にして生きていると、人生はどんどんシンプルになって生きやすくなります。
それがこのゲーム世界で、穴にはまらずまっすぐ歩いている、ってこと。
で、望む結果を得られるようになる。本当に単純な話なのです。

ところが、世の中のほっとんどの人は「落とし穴」にハマったことすら分かっていないから、中にはさらに穴を深く掘ってしまう人もいます。
危ない。
掘り過ぎたら地盤沈下します。液状化します。
勝手に穴を深くしているから、晴れた青空がどんどん遠くなる。もはや自分とは関係のないものになってしまう。
もしもし。
掘っているのは、あなたご自身ですよ。

自分は穴の中にいないと思ってるあなたも危ない。穴の中にいないから「私はあの人よりマシ」とか「自分は勝ち組」とか。
いやいや、あなたの人生に他人は一切関係ありません。
人生は勝ち負けでもなければ相対評価でもありません。

だから、必要なのは「セルフ盛り土」だというお話。
盛り土をするしかない。自分で自分の土壌を安定させる。それしかない。
誰かが盛り土してくれることを期待していたら大間違い。そんなもの待っていても得られません。待っている間に百合子が登場します。

yuriko
そう、あなたという建物の基礎にある空洞。
盛られていないことを暴かれて、さあ、どうする!
もしくは百合子の登場以前に、土砂崩れで自滅。
危ないのです。予断を許さないのです。

セルフ盛り土は簡単。
肯定すればいいのです。直感、欲求、心の声などなどです。
自分を可愛がってあげることです。時々べた褒めしてあげる。それだけのことです。
盛られていきます。安定していきます。

先日、草間彌生先生のドキュメンタリー映画を見ましたが、あの方は自分を「天才」だと呼んでいます。
http://www.kusama-loveforever.com/top.html
私は感動しました。
そして、おそらくですが、自分を天才だと呼んでいることで、天才にふさわしいインスピレーションを与えられているのです。
彼女はまた「愛はとこしえ」「LOVE FOREVER」をテーマに作品群を作られました。
「LOVE FOREVER」
やばい。
我が修道院と同じ標語。
感動しました。

そして私もまた、しょっちゅう自分が天才だと思っている一人です。
勝手に思うわけです。
自分て、天才!マジですごい!
ここで、私が本当に天才なのかどうかはどうでもいいことです。
天才のスケールが、例え草間彌生先生と比べて超ミニミニレベルだとしても、それは問題ではありません。
自分を賞賛すること。

例えば、今日の私は

「セルフ盛り土」

という言葉を思いついただけで、「天才!」と、自分を賞賛してやりました。

わたし大好き。
草間先生だって、誰かに勝ちたいというようなみみっちいモチベーションで絵を描いておられません。すべて心の中から湧き出てくるものを、純粋に表現しておられる。
芸術というものにご自身の全てを委ねているのが感じられるからこそ、見る者の心を打つのだと思います。
わたし大好きというのは、与えられた命を全力で生ききる上で、もっとも大事なコンセプトだと坂ノ下修道院では考えています。

ちなみに、百合子先生はチョーカー使いがとても上手だと思います。
チョーカー以外でも、首回りの開き具合、アクセントを置くポイントなど、なかなかのものとお見受けしています。
わたしだったら、百合子にどんなものを提案しようかな。
彼女からオーダーが来たら、わたし頑張りたいと思います。

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