映画『鹿の國』わたしを捉えて離さない諏訪
公開待ち遠しかった映画『鹿の國』。諏訪の神事の中でも最も謎な−−−−と言っても、知りうる限り諏訪の神事はすべて謎だが−−−− 「御室神事」を再現したというから資料的価値も高いドキュメンタリー。
https://shikanokuni.vfo.co.jp/
「諏訪」と言ったら、その信仰形態も、神事も、複雑な歴史も、また地理的要素までもを含んだ壮大な話だと思うし、おそらく人類がどんなに頑張ってもこの先永遠に解き明かすことなどできない永遠の謎だろう。
特に中世以降、さらには明治以降で日本の「信仰」はめっちゃくちゃにされてしまったんだから、正しく理解することなんかできっこない。
しかし、だからこそなのか、わたしは惹かれに惹かれる。
そんな簡単に理解できることに、面白いことなんかひとつもないよっていうのと、「何がなんだかワケわからないけれど、わたしたちの中に確かに流れている、ある確実な感覚」を刺激されるからじゃないかって思う。
まあ、んなこと言ったって、惹かれることにいちいち理由なんかないんだよ。
そんな膨大な謎である諏訪を扱ったこの作品には陳腐な結論などないし、「御室神事」も、中世の文献の中に僅かに言及されていることを参考に組み立てた、ということだから、そのほとんどが現代人の想像において創造されたものなんだけれど、
そして、「鹿なくして神事すべからず」と言われるほど鹿が重要なのだけれど、なぜ鹿なのか、なぜ75頭なのか、「そそう神」とは何なのか、、、、何ひとつ明らかになったわけではないんだけど、
それからまた「大祝」と「おこう様」について、少なくともわたしが知ってる全てのことが描かれていたわけでもないんだけれど、、、、
わかったことは、あらゆるもの(存在?神?精霊?チカラ?)を降ろしこの地・この世に循環させる仕組みが(わたしの解釈ではおそらく、ものすごくテクノロジカルな仕組みが)かつて諏訪には存在していて、
明治以降めちゃくちゃにされたとはいえ今でもその破片のようなものは残っている、、、ということの確認のような気がしている。
・・・・・・というのも、
これまたいつものごとく「不思議」系の話で恐縮だけれど、
食い入るように見たいはずなのに、ある種のシーン(大社の神事関係と、御室関係)では目を開けていられないほど眠くなった。
あまりにとろ〜んとしてくるので、見たいから両手で瞼を釣り上げるというマヌケ極まりない手法で頑張ってみたんだけど強制的に目を開けてられない。
おそらく白目むき出しの異様な姿だったはず😆😆😆
また風邪をぶり返して熱でも出ているんじゃないかと思ったほどなんだけど、シーンが変わるとバチっと目が開くから、こりゃ何かが実際に降りてきてる、充満してんだろうなと思った。
だから正直、神事関係ないシーンのいくつかしか覚えていないという「えーーーーーー?」ぶり。
まあ、、、だから機会あればもう一度観に行きたいとは思うんだけどね。
ああ、諏訪。お諏訪さま。
なぜこんなにわたしを捉えて離さない?
これいい記事。
明けましておめでとうございます。
新年早々『鹿の国』の公開、嬉しい〜
絶対観に行きます!
明けましておめでとうございます!
ぜひぜひ行って、感想教えてください。ミシャクジにはあんまり言及されてなかったけど、良い映画でしたよ〜