今年は10の災いを越した。わたしにとっての「過ぎ越し」だったかな

冬至を過ぎたあたりから、なんなのか知りませんが急に雲が晴れたように気分がスカッとしてきたんだよね。

わたし実は10月頃から、最ーーーーーーーーーーーーーーーーー悪な状況にありました。それがメキシコから帰国後はさらに悪化した。

「状況ってなにが?」って言われると説明がつかないんだけど、超はしょって言うと、まーやる気が出ない、実際に創作活動なんか1ミリもできない、家も散らかり放題だけど片づけもできない。

何かが変だと思うものの、まったく心当たりなく見当もつかず、低調であったのに加えて、旅から帰ったら、なんか家の時空間が歪んでいるというか、エネルギー的に非常におかしなことになっていて、体感としては常に足元からウニウニしたものを感じるし、1日中集中力を欠き、、、、、

この家に何か起きてることはわかったけど、決定的な対処もできずで。

顔もひどくなってたし、マジでこれは鬱になったのかと思った。

な〜んて書くと軽いけどね。

まー自分以外にはわからない異常事態でありましたよ。

それが、冬至を過ぎたらガラッと変わった。

今は精神的にも快活さを取り戻しているでございます。

 

 

よく考えてみたら、この1年、非常にキツかったんだということに今更気づいた。

昨年秋から始まった家人の病気騒ぎ。度重なる病院通い。状態の把握、医者への不信感。夏の心臓手術までの道のり。

少し先の予定を組むこともできずで、予定していた施術のリスケをお願いすることになったりでクライアントに迷惑もかけた。

考えたら、その時はそれが「キツい」なんて感じることもなかった日々だけど、今振り返ったら、あーそうか、けっこうキツかったんだわ。

「弱音を吐かない」とかじゃなくて、その時は全然平気だと思ってた。

5月には、魚の骨が喉に刺さり、なんだかわからないけどエネルギー的にもグチャグチャになった。

ちなみに、その時は、1年以上行方不明というか、死んだものだとばかり思っていた「我が家のノラ猫(7年間毎日ご飯を食べに来るくせになつかない)」クロが突然現れて、生きてたのか!とひっくり返った。

それで目を見つめていたらなんか奇妙なエネルギーがブワーッと入ってきて、そしたらわたし楽になった。

実はメキシコ後のサイーーーーーーアクだった時も、クロが数日間続けてやってきた。

猫って本当に不思議な生き物。

10月からは親友かねよんの病気発覚で緊迫感がすごかったし、わたしもエネルギーダウンするわ、胃の中にコインを埋められるわでてんやわんやだったし、

歯も痛くなるしで数年ぶりに歯医者通いにもなったなー。

メキシコでは最後の最後にめちゃめちゃ不愉快なことが起きたし。

 

1年を通して、孤独について考え抜いたし、来し方行く末について根本的に考えたりした。

けど、それはとても良かったと思う。

 

 

 

・・・・てな感じでいろいろと振り返れば、これは自分にとって「10の災難」の過ぎ越し(Pass Over)だったんじゃないか?

と今になったら思ったわ。

→ 当然、「喩え」です。

ユダヤ教の「過越の祭り」をご紹介

「過越の祭り」。ユダヤ教の文化に馴染みのない日本では、あまり耳にしない言葉かもしれませんが、ユダヤ人にとっては、旧約聖書の時代から続くとても大事なお祭りです。…

 

 

あと、ものすごい腑に落ちた気づきとしては

「わたしは、もう、若くない」ってこと。

歳とったから体力がなくなったとか気力がなくなったとか、そういうことじゃなくて。

また若いのがいい、若さをいつまでも保っているのがいい、とかそういうふうでもなくて、

ましてや、可愛らしいおばあちゃんにならなきゃ!とかも(まだ)まったくなく、

ただ単に「もう若くはないんだ」という自分をさめざめと感じた、というかなんというか。

もう、たいていのことで気分が上がったり下がったりしないだけに、「気持ちに余計な修飾は要らない」っていう感じもあるよな〜。

 

 

いやーーーーーーーー早いね、1年終わるのが。

能登の大地震、翌日は羽田で飛行機炎上。そして数日後の田中邸炎上、、、、ってのが、ついこないだみたいな記憶だけどね。

 

振り返りってもはやほとんどしない、、、、っていうか、過ぎたことは瞬時に忘却の彼方に行くから「できない」が正確なんだけど、

せっかくだから今年を振り返って気づいたことは少し書いてみようかな。

 

 

では!

 

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