素直な若い子に会った
先日、進路に悩む若いお嬢さんとの対話セッションを、親御さんのご依頼でさせていただいた。
二十歳を過ぎ、間もなく就職先を視野にというところで、「もっと勉強したい(から他の大学に行きたい)」と言い出したという。
しかしつっこんで聞いてみると、進路としての詰めというよりは、自身の人生に対する漠然とした不満があり、何か模索しているのだろうという様子はわかる一方で、母娘の対話としてはあまりスムースに成り立たないということもあり、わたしの出番となったわけ。
あーーーー、こういうニーズって実は潜在的に結構あるんじゃないかなーと思う。
現れたお嬢ちゃん(仮にJOちゃんと呼ぶ)は、わたしが勝手に想像していたよりはるかに素直で率直で、脳内に渦巻いている思考をよどみなく、かつ、若い子特有のスーパー早口(笑)で開示してくれた。
早すぎてヒアリングできない(ホント)から、もうちょっとゆっくり喋ってくれないとオバハンだから聞き取れないよ(笑)とギブアップするほどの早口ぶりに思うところ(後述します)もあるけれど、自分の状況や考えをここまでクリアに話すことができるこの子は相当頭が良いんだな、とまず感じた。自分のことを、自分なりに客観的に見て分析したりもできている。
非常に素直だと感じたのは、「そもそも就職したくない。人生を雇われるようで嫌だ」とまず最初にハッキリ言ったことで、わたしにはその感性がよくわかるし(自分も若い頃そうだったからね)、
かつ、その感覚は非常に正しいと思った。
なにも間違っていない。
問題は、じゃあ、だとして「これから何をすりゃいいのか」の一点のみなわけだが、結局は「本当に好きなことを見つける」が最終的な結論になるわけだけど、「好きなことの見つけ方」ってのが、これまた何通りもあるからはい、じゃこうして、ああして!って話でもない。
さらに対話を続けていくと、JOちゃんが感じているのは、《今まであまりにも簡単に人生を進めてきたから、必死になって全力で取り組んで、結果を出したことがないことへのモヤモヤ感》という風にまとめることができた。
ああ、なんと素晴らしいんだろうこの子は。
何かちょっと高めのハードルに、全力出して挑戦して飛び越えてやった!という実績が自分にはないんだ、それはヤベーことなんだ、ということを実感し真剣に受け止めている。
オバハンから言わせりゃ、そのことをわかっているだけでも凄いことで、大人の多くはそんなことすら考えないまま年をとったりする。そして老けてから自分探しとかの沼にハマったりする。だけど年取ったら全力でぶっこむことなんかなかなか見つけられないからウダウダして終わるのも、厳しいけど事実。そして「あなたはそのままでいい」的なところに到達するひとつのコース。
だから若い彼女が現時点で、そのモヤモヤを払拭したいと思っていることじたいが素晴らしいこと。
いやー本当に、この若い時期にそれをやった経験があるかないかはその後の人生に大きく作用することは疑いようのない事実だから、大人として、その場しのぎの気休め的なことは言うまい。なぜなら言っても無駄だし、それを言うことは大人として、この難問に対する「逃げ」であるから恥ずかしいことだとわたしは思う。
頭がいい子は、自分の頭の良さに見合った答えを求めていて、そこに納得すれば前に進むし、納得できなければそのアドバイスは採用しないだろう。
採用しないどころか、(大人に)話しても無駄かよ、という絶望感すら持つと思う。(けど、本当の本当は、それもまた良しで、大人に期待なんかしても無駄!ということを若いうちに知っておくのもめちゃくちゃいいことである)
ちなみに言うと、それは「成功体験が大事」って話ではない。
「挑戦してやりきったぜ!」という充実感が必要だってこと。だから全力で挑戦した結果、うまくいこうがいくまいが、そこはどっちでも問題ではない。
世の中、いろいろな家庭があって、それぞれ事情は違うだろう。
もし仮に、経済状態に余裕なく、卒業したらすぐにでもきっちり稼げ!という家なら、JOちゃんのような悩みは発生する余地がなく、シンプルかもしれない。
だいたい、大金を稼ぐ人に多いのが「育った家が貧乏だった」というもので、もちろん苦労ではあるだろうが、選択肢がないということは逆に楽だったりする。お金をモチベーションにできるなら、社会で多少の苦痛も受け入れたりもできるだろう。
お金を得ることを満足や充実、あるいは優越感に繋げられるならば、ある意味簡単かもしれない。
逆に、金銭的に余裕のある家ならば、親としては卒業した、はい就職しろ!の既定路線にそんなに大した意味があるのか考えてもいいだろう。
だいたい、そんなモヤモヤを抱えた状態の子を雇ってくれる「良い会社」なんて期待できないし、入った会社で人間関係やら何やら上手くいくのか疑問でもある。
それを言ったら、社会が大きく変わる今、さらに言うと企業って言ったって日産ですら消滅の憂き目に遭う今、「就職したら安心」なんてことがあるんだろうか?(ねーよ)
だったら、なんでもいいからとにかくスキルを身につけろって話だが、スキルだってこの先役に立つスキルだと信じて取り組まない限りは無駄に終わる。
今の子は、デジタルネイティブと一時期もてはやされもしたけれど、人間としての成長速度に対してあまりにも過多な情報が四六時中流された状態で育つ。
結果として、体験よりも情報優先で脳内が洪水を起こしている。
また、コスパだのタイパだのと言った、マジでどーでもいい概念に追われているからゆっくり落ち着いて物事を考えることをしていない。
彼女のスーパー早口からわたしはそんな背景を見てとったわけだが、「脳内でひっきりなしに思考がわんわん言ってない?」って聞いてみたらそうだと言う。
JOちゃんは頭がいいから、その思考の回転速度がますます早くなるんだけど、それは体験的な思考というよりは情報的な思考に占拠されているだけで、「考えであって考えではない」みたいな、ファントムみたいなものに追い回されている。
まずはそのガタガタうるさいファントムを黙らせる必要があって、むしろスマホを捨てて古典文学の2、3冊でもじっくり読んで味わい、大人としてのアウトプットにふさわしい読後感なんかをノートに書く方がよっぽど頭の整理になる。
セッションは、さしあたっていくつかやることを提示して1回目を終えた。
けれども、その後もわたしはずっと考えている。
彼女の言ってることはわかる。すごくわかる。
わたしも同じ経験をしている。
テキトーにやった受験でテキトーな大学にしか受からず、「やった感」がないまま社会に出てしまった。
わたしは浪人してマトモな学校に挑戦したかった。けれども親はそれを許さなかった。
親と言っても、当時の話の窓口は母親で、わたしがやりきった感を求めていることは一切理解しなかった。
母親はわたしと性質が違い、やりきった感など人生に求めないタイプ。ただ単に、浪人なんかするもんじゃないわよ的な論調で取り合ってもくれなかった。
当時の家の財力からしたら、一浪や二浪はどうってことなかったはずで、「やりたいなら頑張ってやってみなさい」と言って欲しかったし、母が援護してくれたなら、父も祖父も応援体制をつくったはずだった。
わたしはわたしで根性なしだから、入学したあと受験勉強を続けて翌年またやるなんてこともせず、結局流されてしまった。
テキトーな大学は勉強はしなかったけどそれなりに楽しかったし、その後学びたいことがあれば勝手に学びまくってきたし、今もそうだからまあ別にアレなわけだが、浪人してマトモな大学に行ったかどうかが問題ではなく、その時に「やりきった感」を得られなかったことは後々まで心に引っかかり続けた。
それはもしかして、「母親が自分を理解しなかった」ことに対する引っかかりだったかもしれない。
JOちゃんとお母さんも多分性質が違うように見える。人はそれぞれ違うから、親子だからって理解されないことたくさんあるよ。
お母さんにはJOちゃんの考えがなかなかわからないのかも知れないが、だけれど、「わかろうとしてくれている」ってことだけはわかりなよ、とわたしは念を押した。
もっと歳をとったら、そのことが身に沁みるだろうってことも、オバハンのわたしは知っている。
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