過去記事を見て気づいた自分のダメさ加減

最近になって昔書いた自分の記事をチラホラ見返してみるキャンペーン実施中なんですが、早くも気づいた事実があります。

昔の方が、「より多くの人にきちんと伝えたい」という気持ちを持って書いていた。非常に丁寧(あくまで自分としての)に書いていた。

同じテーマでも言い方や表現、切り口を変えて何度も書くということもしていたし、なるべく誤解を生まない表現、わかりやすい言葉選び、ちゃんとわかってもらえるようにプロセスを意識して結論まで持っていくこと、、、そんなことを心がけていた。

当時それはとても意識してやっていたことも覚えています。

 

だけどある時から、そういうのがめんどくさいと感じるようになった。

年月を追うごとに、めんどくささは指数関数的に上がっていき、そのうち「きちんと伝えよう」とすること自体がバカバカしく感じるようになりました。

「きちんと」伝えようとして書くには、それなりの熱量と時間が必要で、同じコンテクストの話を何度も書くことにも飽きてくる。

当時は対面セッションを主にやっていて、会いに来てくれる人はありがたいけれども、ご自身の課題を解決しようというよりは、いろんなセッションをホッピングするのが好き、という人が多かったりで、「、、、あれ?」と思うことが多かった。

つまり、他の誰かにも指摘されている、あるいはされ続けてきた課題を持ち越し続けていて、そのことに慣れ過ぎている人、というのが結構いるんだなと。

そうなると、その場合は本当に自分の状況を変えたい、困っている、どうにかしたい!というよりは、単に誰かに変えて欲しいと潜在的に思っているんじゃないか?という仮説がわたしの中に出てきて、いやいやいや、、、自分を変えるのは自分自身ですよ、ということを丁寧に書いてきたつもりだけど、全然意味ないじゃん!意味なかったじゃん!と思ったんだよ、、、

というその一方で、

当時そういう方々に提示すべき長期プログラムを用意してなかったから、整備しなきゃなー、と気づきつつも(今も「プログラム化」は依然として課題としてあるから)そんなに本腰入れて着手しようとしていないよなー・・・・ってことを、今これを書きながら思った!(わお、アウトプットによるセルフ気づき!)→ 俺だって自分の課題を持ち越してるじゃん!(わお!これも二次気づき!)

あるいはまた、当時の自分の発信スタイルだと、そういう方々にむしろヒットするのだとしたら、そのスタイルはやめた方がいい、と当時思ったっていうのもあったなー。

 

ま、小さなきっかけが積み重なってバカバカしいと感じるようになったわけなんですけど。

良い悪いではなく、事実としてそうだということなんですけど。

そのうち、誰かに何かを伝える、ということより、もっと探求したいことがたくさんある!死ぬほどある!という自分の欲求を完全に優先して今に至るわけなんだよね〜。

わたしは目の前にある特定の事象を騒ぐより、その源流というか、根源的なことを探っていくのが好き。

だって、目の前の事象って、なんかの「結果」に過ぎないじゃん。で、結果を変えたければ、源流を捉えた方がいいじゃん。

 

・・・・って、ひさびさに「だから何なの?」系の記事になってるんだけど、これ前フリですw

 

というのは、最近のインフルエンサーの発信には、目を見張るものがある、大きな潮流を感じていて、特に今日上がったこの2本は、「伝える」ということについて非常に感じるところが大きかったからなんだけど。

特に「ヒカル」という方。この方が何者なんだかわかってないけど、凄いなと思った。この2本は見るべき。


 

いやいや、続きはまた書きます。

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